味わうもの

先日、同僚がくれた「R25」をちらっと見ていたら、巻末のコラムに、高橋秀美さんが、「人生は楽しむためにあるのだろうか?」というコラムを寄せていました。激しく同感する。

高橋さんは、「人生は楽しむためにある」という言葉が妙に流行っているけど、「楽しむ」ことを第一義にしすぎると、「楽しくない」と思った瞬間にやめちゃって、何をやるのも長続きしないのがオチじゃないか、と言います。「趣味」は楽しむものじゃなく、もともと、「Taste」という英語を翻訳したもので、「楽しみ」じゃなくて「味わう」ものなんだと。実際、色んな趣味に没頭している人に、「楽しいですか?」と聞くと、マニアになればなるほど、「いや、それほど楽しくないです」と否定したりする。下手に「楽しい」なんていうと、いろんな人が参入してきて、その趣味の希少価値が薄れる・・・つまり、その「希少性」を味わっているのだろうと。

楽しいことも、つまらないことも含めて、「人生は味わうためにある」のだ、というのが高橋さんの結論で、これに非常に共感してしまった。

昨日、ガレリア座の合宿が「楽しかった」と書きました。でもその楽しさっていうのは、決して和気あいあいとした雰囲気の中でみんなで仲良く楽しくやりましょう、みたいな感じの楽しさとは異なる。自分の課題に向き合い、自分の足りない部分を自覚するのは、しばしば極めて苦痛です。いくらやってもクリアできないハードルを前に、自己嫌悪になったり、投げ出してしまいたくなったり、苦しい局面は一杯ある。実際、通し練習を録音したMDを聞いて、激しい自己嫌悪に捉われたのは事実だし、過去の公演ビデオを見て落ち込む、なんてのは日常茶飯事です。

そもそも舞台というのはそういうもので、ただ楽しいばかりでは済まされない。お客様=他者に見せる以上、舞台上の自分だけが楽しんでいても意味はない。お客様との間の密なコミュニケーションと、そこに生まれる一体感と感動。そのレベルにまで到達するために、演技者に求められるのは、ゴールの見えない厳しい絶壁をひたすら登っていくような極めてストイックな自己鍛錬。それは決して「楽しく」ない。

実は舞台だけじゃなくて、色んなことが「楽しい」だけでは決して完成しない。一番身近な例で言えば、勉強がそうです。初期の段階の、ひたすらな「詰め込み」の時期というのは、誰だって楽しくない。「楽しく身につく!」なんて表紙に書かれてる参考書はみんな嘘っぱちで、ひたすら情報を取り込んでいく単純作業や、ひたすら身体に覚えこませる反復作業は、絶対楽しくない。

でも、そういう時期に、どれだけ自分の中に詰め込むことができたか、ということで、その後、どれだけ高度な応用動作が可能になるか、という到達点が決まってしまう。英語なんか典型的な例で、中学校や高校時代に、ひたすら英単語・英熟語を詰め込んでおかないと、いざ英語を使う局面になった時に手も足も出なくなってしまう。英語の早期教育、というと、子供の頃からネイティブの生きた英語に触れさせて、なんて馬鹿の一つ覚えみたいなことを言う人がいますけど、そんなの大して役に立たない。英語の早期教育で英語能力を本当に高めたい、というなら、ひたすら子供に大量の英単語を覚えこませることです。大量の定型文や、決まり文句を覚えこませること。「子曰く」同様、大量の文章を音読させること。要するに、日本語教育で必要なのと同じプロセスを踏ませることです。

そうやって詰め込んだ言い回しや定型句が、自分が喋らないといけない局面や、文章を書かないといけない立場に追い込まれた時に、ふっとよみがえってくる。それが大事なんだよね。そういう「楽しくない」プロセスをひたすら地道に続けていくこと。それが、意外なところで役に立つ。高橋秀美さんが嘆いているように、最近は、そういう地道なプロセスや、楽しくないプロセスをひたすら回避して、安楽に、安易に生きるのが最善、みたいな風潮が強すぎる気がする。そんな生き方、決して自分の栄養にならないのに。

舞台をやっていて、時々、「趣味なんだから」とか「アマチュアなんだから」と、「楽しくやろうよ!」と言われることに、猛烈に腹が立つことがあります。趣味だから、アマチュアだから、というのは、アマチュアが一番安易に口にできる言い訳です。お金を払って舞台を見に来るお客様にとって、プロの舞台もアマチュアの舞台も同じ舞台。逆に、苦しくても、しんどくても、プロではできない妥協のない舞台を見せることこそ、アマチュアの矜持であるはずだろう。そういう舞台を目指すしんどい過程を経て、一つのステップをクリアできた時の達成感こそが、「楽しい」んだよね。

人生は楽しむものじゃない。つらいことも、悲しいことも、楽しいことも、腹の立つことも、全部含めて、「味わうもの」。美味しい料理というのは、甘いばっかりじゃなくて、どこかに苦味や辛味が加えられているものです。そういう美味しい人生過ごすには、「楽しい」ばっかりじゃすまないよねぇ。