始まりました、「美しきエレーヌ」

週末、久しぶりのガレリア座の練習に参加。6月に予定されている、オッフェンバックの「美しきエレーヌ」です。

今回、私がもらった役は、カルカス、というジュピターの神官。ソリストではあるんですが、単独で歌うまとまった曲はほとんどありません。とはいえ、1幕の途中で、ジュピターからの神託(実は、パリス王子から頼まれて、エレーヌとの逢引に邪魔になるエレーヌの夫、メネラウスを追い出すためのでっちあげ)を歌うシーンは、意味もなくカッコイイ。カッコイイ旋律なので、思わず力が入ってしまう。ここをどれだけ、てらいなくさらっと歌えるようになるか、というのが第一の課題かな、と思いました。

2幕でも、カルカスがカードゲームでイカサマをやって吊るし上げを食う、というアンサンブルがあって、不思議とメロウな旋律が出てくる。前後の状況とかがよく見えないのでもう少し読み込みが必要なんだけど、こういう部分も大事に歌わないとね。

カルカスの聞かせどころの一つが、3幕の三重唱。メネラウスとカルカスとアガメムノンという男性の三重唱なんですが、これが無茶苦茶おかしいコミックソングになっている。多分かなりの振り付けが付くと思うけど、歌もかなり大変なので、振り付け師さんにはご配慮願わなければ・・・

オッフェンバックの曲というのは罠があって、どれも耳に心地よく、旋律や和音も結構単純でスピーディ。しかもコミカルだから、舞台上で歌っている側や演じている側が、すぐ気持ちよくなっちゃうんですね。観客より先にどんどん気持ちよくなってしまう。前回の「天国と地獄」でも、舞台上では結構楽しくできたのだけど、客席をどれだけ楽しませることができたんだろう、作品の楽しさ、素晴らしさをどこまで客席に伝えられただろうか、というと、かなり疑問が残った気がしています。

今回の「美しきエレーヌ」は、「天国と地獄」よりも多少時代が下る分、オッフェンバックの筆も円熟味を増していて、どの曲も本当に美しいし、色んなところに歌い手の技量が試される難易度の高いパッセージが隠れています。単純な和音で美しい旋律だと、逆に、和音が汚くなってしまうとすごく目立つ。モーツァルトは単純だけど、無茶苦茶難しい、というのと同じですね。安易に流してしまうと勢いで流れなくはないんだけど、耳に不快感が残ってしまう。不快な部分が一切ない、全編が楽しく気持ちいい演目にするには、実はとてもハードルが高い演目。

パリス役のT君や、ヘレーヌ役の女房との合同練習だったんですが、二人ともオッフェンバックの音楽の魅力にやりがいを感じつつ、それぞれの得意の音域から少し外れた役回りに、チャレンジ精神をかき立てられている・・・という感じです。T君とは、「愛の妙薬」以来の共演になるので、そのへんもとても楽しみ。カルカスには大きな歌はありませんが、全体のアンサンブルをきちんと支えることと、キモになる聞かせどころをきちんと捌くこと・・・を心がけていかないとダメかな、と思います。セリフも結構多い役なんですが、自分がでしゃばっていくのではなくて、進行役として、あくまで周囲の人をきちんと立てるような、抑えた演技を心がける・・・というのが今回の課題かな。多分、そういう意識って、歌にもいい影響を及ぼしてくれる気がする。それにしても、またしても扁桃腺を腫らしてしまいました・・・一体いつになったらまともなノドで歌えるのだろう・・・