「幻の祭典」〜やっぱ、スペインは熱いね〜

以前、「カディスの赤い星」でその熱さに魅了された逢坂剛さん。他のスペインものも読んでみたくて、今回手に取ったのが、「幻の祭典」。内部に紛争の火種を多数抱え込んでいるスペインという国の熱さを味合わせてもらえました。

スペイン内戦、という国を二分した戦いが、この国に残した深い傷跡については、以前この日記にも書いた、ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」などの作品でも触れられていました。一つの民族が、敵と味方に分かれて戦う悲劇。その内戦の真っ只中に投げ込まれた日本人のドラマと、バルセロナオリンピックを目前に民族主義的緊張の高まるスペインでのテロリストの暗躍のドラマが、血というキーワードで絡み合う構成の妙。

主人公がスペインに向かう動機付けが少し弱い気がするし、ミステリーとして見るとちょっと弱い部分も結構あるんだけど、それを補って余りあるのが、スペインという国に対する微細かつ執拗な描写。マグダラ・ファミリア寺院での死闘など、現場の空間や建物の構造を熟知した人でないと書けないリアルな場面設定。

1992年のバルセロナ・オリンピックの開会式、というのは、今でもすごく印象に残っている。会場で繰り広げられたスペクタクルや色彩に、ラテンヨーロッパの濃厚な地中海の香りと、スペインらしい熱気を感じたせいでしょうか。聖火台の点火に火矢を使う、なんてのもかっこよかったよねぇ。トリノオリンピックの開会式にも、「ヨーロッパだなぁ」と思わせる洗練された雰囲気があったのだけど、同じラテン系でも、スペインの方が熱くて、もっと生々しい感じがする。やっぱり闘牛の国だなぁ、という感じ。

そう思うと、物語のカギを握るテロリストの武器が、細身の剣である、というところも、闘牛を意識している気がしないでもない。「カディスの赤い星」でも、闘牛のようなドラマの熱さを感じましたけど、「幻の祭典」にもそういう匂いがある。

戦前、スペイン内戦の予感漂う政情不穏なスペインで企画された、「人民オリンピック」。ベルリン・オリンピックに対抗して、こんな競技会が企画されていた、というのも新鮮な驚きでした。パブロ・カザルスジョージ・オーウェルといった実在の人物を散りばめる「遊び」もまじえながら、ドラマの緊張感が途切れないのは、スペイン内戦という戦い自体の持っていた先鋭性のためでしょうか。共産主義民族主義ファシズム無政府主義、ありとあらゆる思想が、近代兵器をもってぶつかり合い、一つの民族の血で血を洗う戦いという悲劇を生んだ、という点で、戦争の世紀であった20世紀の世界の縮図がそこにあった。ヘミングウェイジョージ・オーウェルが描き、ピカソが「ゲルニカ」で怒りをたたきつけたように、この戦争から生み出された芸術作品も多いですよね。

逢坂剛さんの作品、もう少し追いかけてみたい気持ちと合わせて、スペインという国についても、もう少し勉強してみたい気分がしてきました。ヨーロッパはやっぱり奥が深いやね。