年金と言われると・・・

最近、年金問題年金問題と大騒ぎになってますよね。社会保険庁もボロクソに叩かれて、職員の皆さんもさぞや肩身の狭い思いをされているでしょう。こういう書き出しだと、「お、今回は社会派か?」なんて思われるかもしれないけど、そんな気はさらさらなくって、もっとバカバカしい話です。

年金と言われて肩身の狭い思いをしているのは、社会保険庁の方々ばかりじゃなく、かくいう私も、なんとなく身を縮めてしまうんですね。何故かといえば、実は、大学の労働法のゼミで私が割り当てられたのが、「社会保険制度の改定について」というテーマだったんですよ。わはははは。

と、ここまで書けば、大体お分かりだと思うんだけど、一発レポート書いて、ゼミで発表したはずなんだけど、どんな内容だったか、綺麗さっぱり忘れてしまいました。なので、年金年金と色々言われるたびに、「勉強したはずなのに何一つ覚えていない」という罪悪感で身が縮むのである。情けないったらありゃしない。

ただ一つだけ覚えていることは、とにかくものすごく複雑な構造になっている、ということ。厚生年金と国民年金の2階建ての基本構造の中に、制度改定の度に、過去の加入者の不利益につながらないように、ということでいくつもの経過措置が盛り込まれている。こういう場合にはこうなって、こういう場合にはこうなって、という条件分岐が異様に多い。

なので、今回、5000万件の記録が行方不明、といわれたとき、「ひどい」という感想よりも、「やっぱりね」という感想の方が先に立ったんです。当たり前だよ、あんな複雑な制度を、システムで管理すること自体ものすごく難しいと思う。まぁ、今回の5000万件っていうのは、年金の仕組みが複雑、という点よりも、単なる記入ミスや加入者情報の管理ミス、という側面が大きいみたいですけどね。

この年金を巡る政治家のあたふたもそうだけど、そもそも、わけの分からない複雑な年金の構成を生んでいるのは、政治の悪影響なんじゃないかなぁ、という気がすごくする。過去の既得権への過剰なまでの配慮と、政治的な綱引きの結果決まっていく複雑怪奇な制度。その制度を維持するためのシステムも、組織も、到底その複雑さについていけない。結果として、色んなところに綻びが出る。年度内に5000万件を全部洗い出す、なんていってるけど、どこかで誰かが無茶苦茶無理していて、どこかでまた別のほころびが出るんじゃないかなぁ。

結局、色んな妥協やら政治的判断とやらを加えていくと、「筋」がきちんと通った結論を出せない・・・というところが元凶なんでしょうけどね。でもそういう背景以上に、政治家の資質として、色んな制度とか、政策を考えるときに、「論理的」に考えられない、説明できない政治家が増えているような気がするのは私だけかなぁ。久間さんの「しょうがない」発言にしてもそうだけど、「こういう発言をしたらこういう結果になる」「こういう政策の結果としてこうなる」という因果の道筋を予測できない愚鈍な政治家が、最近本当に多い気がする。論理的に話せないことを、「オレは『情』の人間だから」なんて開き直る人もいるような気がしますよね。誰かがブログで、「『オレは文系だから論理的な議論ができないんだ』と言い訳する(開き直る?)文系の人がいて呆れた」という話を書いてましたっけ。「論理」といったって、数式じゃないんだから、一体何をバカなことを言ってるんだか。

あの白洲次郎さんがよくおっしゃっていた、「Principle」=原則、ということを基本において、この「原則」から必然的に導き出される因果の道筋をたどり、結論を導いていく、というのが「論理」ということ。それはとりもなおさず、「議論」という作業プロセスそのものであって、「論理的な議論」じゃない議論なんかないんです。もしあったとしたら、それは、怒鳴りあいとか、慰めあいとか、殴りあいといった、単なる動物的なコミュニケーションに過ぎない。

誰かが、ある本で、「指導者の言葉に人が納得するためには、その言葉の正しさもそうだが、その人への敬意があるかないかが大事だ」ということを書いてました。でも、その人に「敬意」を持てるかどうか、というのは、その人がどれだけ、自分の「Principle」を持ち、そこからブレない「筋の通った」話をできるか、ということにも関わっている。自己の思想の柱を持ち、その柱に対してつねにブレがなく、かつ「情」が厚いこと。よく言われる話だけど、「理」と「情」のバランスがうまく取れていることが、指導者の条件。

「論理的である」=「理屈っぽい」というネガティブな評価が、「論理」と言う言葉に対する日本人の基本的な受け止め方のような気がするんだけど、それが結局、日本人を、議論の下手な民族にしている気がすごくする。論理のないところには「Principle」なんて生まれようもなくって、「Principle」のない「美しい国」なんてのは存在しないんだけどねぇ・・・なんて、偉そうなことを言う前に、大学で勉強したことはちゃんと覚えていようねぇ。すみませんねぇ。