哀しい情景

日曜日、「小公爵」の練習。お昼と夜の練習の合間に、新宿文化センターの近くのコンビニで夕食を買出し。同じ店内に、どうもホームレスらしいおじいさんがいる。アル中なのか、病気なのか、体が常に小刻みに揺れている。覚束ない足取りで、お弁当のコーナーなどを覗き込んでいる。新宿歌舞伎町近くのコンビニですから、さほど珍しくもない光景なので、そのまま見過ごして、自分の買い物を済ませ、レジへ。

レジで会計をしていると、店の出口近辺で、怒鳴り声と、モノが倒れる音が。何事、と思って外を覗くと、さっきのホームレスのおじいさんが、コンビニの制服を着た、店長らしいおじさんにボコボコにされている。おじいさんは道に転がって、小さい声で、「ごめんなさい、ごめんなさい」とつぶやいているのだけど、店のおじさんは全然手を緩めなくて、そのおじいさんをさらに何度も何度も蹴りつけ、「常習だろ貴様!」「警察に突き出すぞ!」とわめきながら、おじいさんの手提げ袋の中に詰め込んであった弁当だのビール缶だのを取り出して、下着やらなんやらの中身を全部おじいさんの上にぶちまけて、「二度と来んな!」とどなり、さらにおじいさんを蹴り飛ばした。脇に立って見ていた、やっぱり身なりが少し粗末なおじいさんが、「やめなさいよ」と止めに入ったのだけど、店長は、「なんだ、貴様も仲間じゃねえのか。やる気か?」とすごんで、回収した商品を手に、店内に戻っていった。

なんだか、色んな意味で、哀しくなる光景でした。お金がなくて、いつもの食料調達ルートでは食べ物の確保ができなくて、万引きしちゃったホームレスのおじいさんも哀しい。でも、そういうホームレスに情を見せたりしたら、新宿でコンビニの店長なんかやってられない、と腹をくくって、おじいさんをボコボコにしている店長さんも、なんだか哀しい。でも一番哀しかったのは、そういう暴力を目の前に見ていても、それを止めることができない自分が一番情けなくって、哀しかった。

暴力をやめて、警察に届ければいいじゃないですか、と言うことはできたかもしれない。でも、警察に届けても、たいした金額の窃盗じゃないから、すぐまた世間に出てきて、また同じことを繰り返すのも見えてる。二度とこの店で万引きをさせないための一番手っ取り早い抑止手段が、結局、「暴力」というところに落ち着いてしまう都会の、とりわけ歌舞伎町の常識。その中で商売をしている側も、ホームレスをやっている側も、その常識やリスクを了解しながら、スレスレのところで生きている。そういう厳しいルールの中で生きている人たちに、そこで生活をしているわけじゃない我々が、口をさしはさむことは簡単なことじゃない。

そうやって、後付けで自分に言い訳することができても、あの時、「やめなさい」の一言が言えなかった自分の卑怯は消えない。「やめなさい」の一言を言うことで、自分が抱え込むリスクや面倒を、背負いきれる自信がなかった自分の弱さは消えない。都会で生きていくためには、自分の荷物をなるべく軽くする必要があって、色んなトラブルを目にしても、自分が巻き込まれない限りは、当事者同士に任せるべき、というのが、賢い生き方だとは分かっているし、あの時に、そういう都会人としての知恵が働いたのも事実。でもそういう「賢い」生き方の中にある卑劣さや自己保身が、自分自身に対する嫌悪感につながって、なんともやりきれない気分になる。

東京という都会に生きていると、時々こういう光景に出会います。自分で何らかのアクションを取れる時もあれば、今回のように、何も出来ないまま足早にその場を立ち去ってしまう時もある。アクションを取ったから後悔しないか、というと、そんなこともなくって、「手を出すべきじゃなかったかも」と後悔することの方が多い。いずれにしても後味の悪い、哀しい光景を見てしまいました。東京っていうのは、厳しい、冷たい、そして哀しい街です。