笠松 宏有回顧展〜人生というドラマ〜

昨日、この日記でも以前紹介した、S弁護士のお義父さまの故 笠松宏有さんの回顧展が、銀座で開幕。開幕パーティに、女房と娘と3人で顔を出してきました。

会場となったセントラル美術館は初めてだったのですが、広すぎず、狭すぎず、回廊はゆったりとしていて、実に素敵なスペースでした。学生時代から、絶筆となった制作途中の大作まで、画家の生涯の歩みとともに順を追って展示された作品群。

女房ともども、「面白いねぇ」と言い合っていたのは、そうやって時代別に並べてみると、笠松さんが、その時代に応じた明確なテーマやモチーフを持って、作品を生み出していっている様子がはっきり概観できること。抽象表現を追及した若い時代から、具象画に転向して、自分の内面を追求していく夜の作品群。それが、既存の空間から解放されようとする華やかな色彩と、破壊された壁のイメージが鮮やかな印象を残す昼の作品群に連なり、作家自身の内面の充実と外向きのエネルギーの横溢を示す。内面の充実はそのまま外に向けての強烈なメッセージの発信となり、見る人を圧倒する「昭和史」のシリーズにつながる。「昭和史」のシリーズで、メッセージは自然と人と神の共生という形で完結し、ご親族の渡欧と共に視界は空へ飛翔し、都市を高みから俯瞰しながら、人と神の対話=祈りへと昇華していく…
(これらの絵の実物は、http://blog.goo.ne.jp/kasamatsu-museumで概観できます)

その画家の歩みが、まさに一つのドラマとなって、見る人に訴えかけてくる、構成の妙。実際に画家がそういう内的ドラマを生きたのだ、という部分もあるだろうけど、女房に言わせれば、「作品をそういう形で整理し、構成した主催者の工夫=編集の妙もあると思うよ」とのこと。お仕事や出産といった多忙な生活の中で、これだけの展覧会を構成・実現したS弁護士夫妻には、本当に頭が下がります。

一通り作品群を見た後で、とても爽やかな気持ちになれるのは、画家が絶筆直前に描いた「天使の連作」が、様々な葛藤や内面の充実を積み重ねた結果として、からりと晴れ渡った空のような昇華された視点を獲得しているから。陰鬱な内省的な作品で人生を締めくくるのではなく、ご自身が天の高みに昇っていくその過程で、ふと自分の後ろに残した人々を振り返って、幸あれと祈りながら描かれたような作品群。制作途中での絶筆となった「春」という絵に、明るく未来へ駆け出していくような2頭の馬の姿が描かれていて、何だか、とてもいい映画か、本を読み終えた時のような、心地よい充実感が残りました。

娘は、絵の中に隠れているいろんな動物を見つけたり、「ここに男の人がいるんだよ」「これは壁が壊れているわけじゃなくて、この人が心の中で思ったことが描かれているんだねぇ」とか、「この絵の中にくまさんが隠れているのが分かるかな」なんてパパにクイズを出したりしながら、どの絵もどの絵もとても堪能したようです。幅2メートルもある大作を随分長いことためすすがめつ眺めた挙句に、「いいなぁ、この絵欲しいなぁ」と呟いて、となりにいたおじさんが驚愕していたそうな。

ご挨拶に立たれた画家仲間の方が、「画家という人種は、誰もが、絵筆を握ったまま、絵を描きながら死にたい、と思っているものです。その通りに天に召された笠松さんは、まさに我々の理想です」とおっしゃっていました。制作の途中、絵筆も乾かさないままに、ちょっと一休み、と横になったまま、そのまま旅立たれた笠松さんが残された絵に、本当に心癒されながら、会場を後にしました。笠松宏有さんの回顧展は、銀座一丁目駅の駅前ビルの中のセントラル美術館で、29日まで開催されています。もしお時間がある方は、是非一度足を運ばれてはいかがでしょう。