「てのひらの闇」〜「サラリーマン」というアイデンティティ〜

藤原伊織さん、という作家は、ご他聞に漏れず、「テロリストのパラソル」で出会いました。すごく正統派のハードボイルド作家、という印象。登場人物のセリフがものすごく上手い作家、という感想もあったので、久しぶりに、ハードボイルド世界の洒落た会話を楽しみたくて、図書館で借りてきました、「てのひらの闇」。期待通りの絶妙なセリフと、魅力溢れる登場人物たちを堪能。

くたびれた一着1万円のスーツを身にまとった中年サラリーマン、実は、過酷で壮絶な生い立ちで、喧嘩にも逆境にも恐ろしく強く、暴力団を相手にスチールパイプ一本で立ち向かうハードボイルドサラリーマン…あまりにカッコイイ道具立てじゃないですか。小説の前半部分では、主人公が風邪で高熱を発していて、ただでさえくたびれた中年男が、さらにボロボロになっている。そんなボロボロのオッサンが、強靭な意志力で隠された真実に迫っていく。こういう描写が、同じくたびれた中年男の心をくすぐるんだよねぇ。

ただ、作品としては、人間関係が複雑すぎて、その糸がほぐれていく後半部分のカタルシスが弱くなっちゃった感じがしました。私の頭が悪いせいもあるんだけど、この人物とこの人物が親子で、この人物とこの人物が舎弟で、この人物とこの人物が恋人で…なんていう人間関係がこんがらがってしまって、何がなんだか途中で分からなくなっちゃった。前半、主人公がヤクザをのしちゃうシーンとか、読者すら呆然とさせる唐突さで、結構ワクワクしたんだけどなぁ。

面白かったのは、バブル崩壊直後、リストラと業界再編の激震にゆれる大企業が、物語の舞台になっている所。希望退職で会社を去る人、指名解雇で精神のバランスを崩す人。そういう人々の姿を眺めながら、「サラリーマンというのは、オレにとってただの借り着だったのかもしれない」と主人公は呟く。

かつての「ムラ」同様、平和で閉鎖的な運命共同体として機能していた「カイシャ」という存在が、バブル崩壊後にその自己保存欲をむき出しにし、構成員である社員たちを切り捨て始めた。社員たちの中に絶対的にあった「カイシャ」への帰属意識や信頼感は、あのプロセスで決定的なダメージを受けました。バブル崩壊によって修復不能な傷を負ったのは、「カイシャ」と社員の間の信頼関係であり、煎じ詰めれば「サラリーマン」という職業の持つアイデンティティそのものだったと思います。

ただのサラリーマンだったオトウサンたちは、リストラの嵐を経て、サラリーマンであることすら奪われて、本当に「ただのオトウサン」になってしまった。かろうじてサラリーマンの地位を失わなかった人ですら、カイシャに絶対的に依存することを否定されて、本来の自分がどこにあるのかを自問せざるをえなかった。そういう時代背景を持つこの物語の中で、主人公は、自分がもともと帰属していた極道の世界に戦いを挑む。自分を人間として尊重し、認めてくれた上司に対する恩義に報いるためだけに。

自分自身を、帰属している集団の中での相対的な位置関係で捉えるのではなくて、自分自身として、個人として捉えること。自分の足で立つということ。そのために必要な強さと、そのために必要な支えについて。「てのひらの闇」は、そんな独り立ちを強制された当時の日本人の足元に開いた闇であると同時に、心を支えてくれる人のてのひらの温もりでもある。バブル崩壊後の荒んだ世相を思い出しながら、結局人を支えるのは、体温を伴った「リアル」な人間関係だけなんだよなぁ、と、ぼんやり考えました。藤原伊織さんの他の作品も、少し追いかけてみようかな、と思います。