我が家の留守電

私自身が電話会社に勤めている関係もあって、電話関係の記事にはよく目を通すのです。今日見た記事で、「電話がかかってきても、自分の名前を名乗らない人が7割を超えた」という記事がありました。私自身もそうなんですが、結局、色んな勧誘電話やらいたずら電話に対して、自分の苗字という情報を与えることに対する自己防衛なんですよね。なんだか殺伐とした時代になってきたなぁ、とは思いますけど…

イエ、という独立した単位の周囲に、ムラ、という社会があり、その社会同士が極めて稀な人の往来(マレビト)によって結ばれていた昔においては、玄関というのは基本的に開けっ放しであり、誰もが「イエ」の中にずかずかと入り込んでくるものでした。実際、女房の実家の大船渡あたりでは、つい最近まで、お年寄りが、家の玄関に鍵をかけることを、「体裁が悪い」と嫌がった、という話を聞いたことがあります。「イエ」の周りにある「ムラ」が、外部からの侵入を妨げる緩衝材として機能していて、「マレビト」の来訪に対して、「ムラ」全体が防御体制をとることでトラブルを未然に防いでいたんだね。逆に、「ムラ」の構成員は、他の「ムラ」の構成員に対してどこまでも情報を公開しなければならない。

でも、交通手段が発達して人の往来が自由になり、土地の流通度が増して「ムラ」が崩壊し、「イエ」はそのまま、「ソト」に対置する存在になった。更に、物理的な玄関以外に、電話、ネット、という「入り口」が、「ソト」からの侵入路として新たに加わってきた。

そういう侵入路をこじ開けて入ってこようとするのは、「イエ」の中の「ヒト」の心にあるビジネスチャンスをつかもうとする様々な企業。資本主義がビジネスチャンスを求め、マーケティングを精緻化していくにつれて、「イエ」の中に守られている個人にいかにしてアプローチするか、ということが、大事な営業活動になってくる。それが資本主義の必然的な流れであるとするならば、個人の側も、いかにして自分の個人情報を守るか、ということについて非常にナーバスになる必要がある。時々、悪意のある犯罪者が、いろんな入り口から侵入してこようとするから、余計に警戒が必要になる。

電話に対して、「xxです」と名乗る、というマナーは、間違い電話を避ける目的のマナーだったと思うのですけど、こういう情勢に応じて変貌していかざるを得ない。我が家でも、「もしもし」と言って、相手が名乗るか、あるいは、「xxさんですか?」と相手が言ってくるのを待つようにしていますし、自分からかけるときでも、「xxさんですか?」と問いかけるようにしています。相手が携帯電話の時には必ず、「今、お電話よろしいですか?」と一言を添える。相手を思いやるのがマナーであれば、まず相手の警戒心を解き、相手の状況を確認するのが必要な手続き。

地域社会が崩壊し、個人が個人で「ソト」に立ち向かわねばならない世の中になってしまった以上、こういう「マナーの変化」は必然なんでしょうけどね。「ソト」の力や悪意がどんどん大きくなっている感覚があって、それが余計に警戒心を助長するんだよなぁ。

同じ理由で、家の留守電も、個人で録音したメッセージじゃなく、電話機がデフォルトで持っている人工音声の「タダイマ、ルスニ、シテオリマス」というメッセージを流す人が増えてますよね。昔、留守電が出てきたばっかりのころは、留守電のメッセージに色んなパフォーマンスを入れるのが流行ったもんだったが。お気に入りの曲をBGMにする、なんてのは結構当たり前で、自作の曲の演奏をBGMにしている友人もいた。私の友人の一人は、「お電話ありがとうございます!おお、今まさにゴジラが我が家を踏み潰そうとしています!今、手をかけました!すごい力です!私は逃亡します!メッセージがあれば録音をお願いします!いよいよ最後です!さようなら!」というメッセージを入れていた。人騒がせでしょう。

ちなみに、我が家の留守電は、私と女房が交互に、私:「はいxxです。申し訳ありませんが、ただいま電話に出ることができません」女房:「御用の方は、ピーと言う発信音のあとに、お名前とメッセージをお残しください」二人:「お電話どうもありがとうございました」と声を合わせて喋る、というメッセージを録音して使っているのですが、これが妙に、よその方々には新鮮らしい。なんかヘンですかね?娘の小学校のママ友達とかが、我が家の留守電を聞いて妙に動揺して、「え、えっと、す、すごい留守電ですね。えっと、またかけます、じゃ」と、そのまま電話が切れてしまう、なんてことがよくある。何が問題なんだろう。全然理解できん。

先日なんか、留守電のメッセージに、明らかに不動産業者と分かるセールスレディのお姉ちゃんが、「xx不動産なんですけど…えっと…素晴らしい留守電メッセージですね…では、失礼します」というメッセージを残していて、なんのこっちゃ、と女房ともども首を傾げてしまいました。そんなに素晴らしいことなんか言ってないじゃないか。非常に事務的なことしか喋ってないぞ。何が素晴らしいんだ。全然分からん。

いわゆる、「ポケベル」の数字メッセージなんかと同様、留守電メッセージというのも、もう失われた文化なのかもしれませんね。無味乾燥な電子メッセージが伝える非人格的な「留守」という情報が一般化していくにつれて、その「留守」という情報そのものもバーチャル化していく。その中で、突然、舞台やってる夫婦のナマナマしい「リアル」な肉声が、二人で声を揃えて「お電話どうもありがとうございました!」なんて言ってたりするのが、最近の人にはリアルすぎて違和感があるのかもしれないなぁ。