自分の部屋

昨日、娘の部屋に、娘のベッドと机が届きました。真新しい木の匂いがします。はしごで登って、下が収納になっているベッド。木の机。今までも、娘の部屋、というのはちゃんとあったんですけど、娘が遊ぶ場所、娘の活動場所、というよりも、娘のモノを置く場所、という部屋でした。娘の活動は親と一緒になれる、リビングなどに限られていたんです。

ベッドと机を置いた娘の部屋は、すっかり娘の活動場所になりました。とりあえず机に向かう。机に向かうだけで嬉しい。でも、机に向かってもやることがない。仕方ないので、「日記でも書こうかな」と、クーピーで絵日記を書いて、パパに見せてくれました。「つくえと べっど うれしい」だってさ。例によって昇天。

自分の子供の頃、自分の部屋を持つ、というのは本当にわくわくする体験だったと思うのですが、記憶は既におぼろげです。一つ、とてもよく覚えているのは、兄と一つの部屋を共有していた子供の頃。部屋の真ん中に二段ベッドがあって、そのベッドで分けられた左右の細いスペースが、それぞれの「場所」でした。そのスペースと、二段ベッドの自分の布団の中が自分のテリトリー。どこか潜水艦の個室みたいな狭い場所でしたけど、でも、あの「自分の場所」の中での時間は、本当に嬉しくて、本当に楽しかったなぁ。

でも、「自分の場所」というのは、一人という孤独との戦いでもありますよね。娘は、ベッドが届いた昨夜、「今日からいきなり一人で寝るのは怖いよ」と呟き、「そうだ、1日おきに、一人で寝ることにしようよ。」と言い出しました。段々一人で寝る日を増やしていって、慣らしていくんだって。というわけで、昨夜は、今まで通りの川の字。今晩は初めての一人寝です。大丈夫かなぁ。

「最初のうちは、怖くて寂しくて泣いちゃうかもしれないけど、怒らないでね」と、心配そうな娘。おこりゃしないよ、と言いながら、家族そろって川の字になって寝ていた時期の幸福について、少しセンチな気持ちで思い返してみたりする。夜中に目を覚ましたら、隣に小さな宝物が、すやすやと寝息を立てている幸せについて。

子供が自分の場所を持ち、自分の時間を持ち、どんどん親から独立した一個の人格として自立していきます。そのことを寂しがっている娘の思いよりも、親の寂しさの方が身にしみる今日この頃です。なんだかお父さんはしみじみしているよ。