二期会「ラ・ボエーム」〜コントラストの大切さ〜

先週の木曜日、行ってきました、二期会の「ラ・ボエーム」です。

指揮:ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ
演出: 鵜山 仁
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団
公演監督:栗林義信

ミミ:大岩 千穂
ロドルフォ:福井 敬
マルチェッロ:大島 幾雄
ショナール:宮本 益光
ムゼッタ:飯田みち代
コッリーネ:斉木 健詞
アルチンドロ:境 信博
ベノア:村林 徹也
パルピニョール:森田 有生

という布陣でした。

ボエームというオペラは、映像では何度も見ているのですけど、舞台ではまだ一度も見たことがなかったんです。今回、「モンマルトルのすみれ」という、カールマン版「ラ・ボエーム」といえる作品をやるにあたって、ちゃんと本家版も見ておいた方がよかろう、と思い、仕事も早々に、オーチャードホールへ足を運ぶ。

誰かが、「ボエーム聴いて泣かないやつは神経をやられている」と言っていたのを聞いたことがあります。確かに、3幕と4幕なんか、もう涙なしには見られない。公演パンフレットに、「ボエームの泣かせのテクニックは、『冬ソナ』のそれとほとんど変わらん」なんていう文章がありましたけど、同感。100年たっても200年たっても、人間の涙腺を刺激する物語っていうのは、さほど大きく変わるものじゃないんですね。

公演の出来不出来、とか、演出の出来不出来、なんてのを論評できるような人間じゃないので、無責任な感想だけをちょっと言わせてもらえれば、福井さんのロドルフォの存在感、声の質感・圧力に本当に圧倒されました。ラストの「ミミ!」の絶唱は、泣きを入れたりするような色気を加えることなく、ただ真っ直ぐに、楽譜に書かれた音符の中にみっしりとドラマの詰まった絶唱。そこまでさんざ泣かされた挙句に、最後の最後にもう一押し、ダメ押しの涙をドバっと溢れさせるような。

ミミの大岩さんは、ミミの線の細さみたいなものを表現するには、少し声の響きが豊穣すぎる気がしました。柔らかくて、とても耳に心地よい素晴らしい声なんですけど、ちょっと芯がぼけてしまったような。でも、3幕・4幕あたりの儚げな風情には、その柔らかさが活かされて、十二分に泣かせていただきました。全体に、プッチーニの音楽の持つメロメロのメロドラマが目一杯表現されきった舞台、という気がしたのですが、そのあたりは、東フィル・指揮者の手腕なんでしょうか。

音楽のことはそんなわけで、何かしら言える人間じゃないんですが、演出として思った点をいくつか。4幕の冒頭のドタバタ劇は、ボヘミアンの雰囲気を伝えるに十二分で、後半の悲劇の序章として見事な効果を上げていたと思います。1幕・2幕あたりが、今ひとつぼんやりしちゃった気がする。1幕前半のボヘミアンたちの関係性がよく見えない。2幕になると、合唱の中にソリストたちが完全に埋没してしまっていて、なんだかよく分からない。

これはしかし、今度、「モンマルトルのすみれ」で同じボヘミアンを演じるにあたっても、すごく参考になるなぁ、と思いながら見ていました。要するに、「コントラスト」ということなんですね。4幕の出来が素晴らしかったのは、前半のドタバタと後半の悲劇の「コントラスト」が見事だったから。3幕でも、できれば、マルチェッロ・ムゼッタのカップルと、ロドルフォ・ミミのカップルの「コントラスト」がもっと見えればよかったのだけど、ムゼッタが急に最前面に出てくるシーンがあって、それは違うだろうよ、と思っちゃった。そういう、各シーンにおいて際立たせたい部分と、背景になるべき部分の「コントラスト」が明確になることで、各シーンの焦点がくっきりする。

「モンマルトル」でも、「すみれ」という登場人物に焦点をあてなければいけないシーンが、随所にあります。その時、背景になっている人間はどうあるべきか。無駄な動きをしないこと。視線を「すみれ」に集めること。あるいはあえて外すこと。さらに言えば、「すみれ」のドラマが展開される前後のドラマをどう作り出すべきか。「すみれ」のドラマを悲痛なものにしたければ、その前のドラマが享楽的で、底抜けに明るいものになればなるほど、その「コントラスト」は際立つはず。そういう全体の構成を見据えた上での演技の設計が、ドラマの焦点を明確にしていく。

もう一つ、ものすごく切ない気持ちになったのは、4幕、コッリーネが「外套の歌」を歌ったあと、ショナールに告げる一言。「ぼくらみんなで、二人のためにしてやれる精一杯のことをしてやろう。僕はこの外套だ。君は、彼らを二人っきりにしてやりなよ」。

パリのモンマルトルに集った芸術家たち、という素材が、「ボエーム」を産み、レハールの「ルクセンブルグ伯爵」を産み、カールマンの「モンマルトル」を生んだように、たくさんの芸術家の琴線に触れたのは、この一言があるからじゃないかなぁ、という気がします。貧しく、明日の糧にも事欠く中で、夢を抱き、夢のために生きながら、「仲間のために、自分がしてやれることは何だろう」と常に考え続ける「人への思いやり」。

「モンマルトルのすみれ」という演目の中で、そんなボヘミアンの一人を演じる時に、もっともっと、「自分が仲間のためにできること」を考えられるようになれば。自分のことで精一杯の状態ではありますが、なんとか周囲にもっと目配りしていきたいと思います。

客席では、偶然、檀ふみさんや白井晃さんが座ってらっしゃる席のすぐ後ろでした。檀ふみさんはとても上品な和服姿で、後ろから見ていても、所作の一つ一つが本当に優雅で美しい方でした。素敵だぁ。

しかし、アンリ・ムルジェ(今回の「モンマルトル」で私がやる役です)が、「ボエーム」の原作、「ボヘミアンの生活」の作者の名前だった、というのは、今回初めて知りました。不勉強ですね。すみません。原作者の名前に恥じない、スタイリッシュなボヘミアンを作り上げないと。その前に、覚えなきゃいけないことがたくさんありすぎて…(T_T)