埼玉オペラ協会「カルメン」〜出会いが嬉しいね〜

あるご縁から声をかけていただいて、埼玉オペラ協会、という団体の「カルメン」公演を、助演としてお手伝いすることになりました。大田区民オペラ合唱団の演出をされていた、伊藤明子さんが演出。これがみょーな役なんだ。

あんまり言うとネタバレになってしまうので、予習程度にしか申し上げませんが、今回の「カルメン」、設定は現代です。現代のスペインの、治安もさほどよくないある地区での事件、という設定。そこに、元の設定には全く存在していない、とんでもなく場違いな連中が紛れ込んでいて…という世界観。その「場違いな連中」を演じるのが、私と、もう一方の男性、それに、ガレリア仲間のkyoro99さんと、伊藤さんのお友達のジャズダンサーのMさんの4人。

伊藤さんは、「ビゼーが最初に作った『カルメン』って、ものすごく笑えるシーンがあって、オペラ・コミックとしてすごく魅力的なんだよ」とおっしゃいます。「でも、日本人はフランス語が分からないし、そういう軽妙なセリフのやりとりを理解するのは難しい。現在日本で主に上演されているグランド・オペラとしての『カルメン』は、もともとあった面白みをずいぶん削ってしまっている。」確かに、ビゼーが最初、オペレッタ作曲家としてデビューしたのは有名な話で、「カルメン」の第三幕のコミカルな4重唱なんか、オッフェンバックオペレッタにでも出てきそうな楽しい曲だったりします。「そういう、原型の持っていたハチャメチャさ、面白さを加えてみたいんだ。」

だから、思いっきり遊んだ、笑える場面を作りたいんだよね、と伊藤さんはおっしゃいます。「それがキミたち、『場違いな連中』なんだよ。だから思いっきり、カンチガイしている人、場違いな連中を、コミカルに演じて欲しいんだ」

こう言われて、後は好きにして、と言われると、本当になんでもアリで、演じる側としてはすごく楽しい。楽しいんですけど、それが「悪ノリ」になってしまうと、ごちゃごちゃした芝居が一杯ついてしまって、かえって何をしているのか分からなくなったり、音楽の段取りに合わなくなってしまったりする。そのあたりのバランスを常に考えながら、まずは無茶苦茶に思いつくままに演じてみて、それを音楽に合わせて、段取りの中で刈り込んでいく、という作業を繰り返していくことになります。

こういう時、一人で色んなアイデアを出してやっていくのも勿論楽しいんですが、共演者が出してくる色んなアイデアやリアクションがすごく面白いと、今度はそれを受けてまた色んなアイデアを考えたりする、そのコラボレーションが実に楽しいんですよね。今回共演させていただく、ジャズダンサーのMさんという方、名古屋の大学の音楽コースの非常勤講師として、身体表現について教えてらっしゃる、という、まさしくプロの方なんですが、この方がすごい。出してくる演技の引き出し、身体表現のバラエティの豊かさ。今回、カルメンの所作を歌い手の方にちょっとご指導されたりしていたのですが、「カンチガイ演技」をしているときの表現の面白さと、カルメンの所作を見せるときの立ち居振る舞いの見事さのギャップに、シロウト役者の私としては、ただ呆然とみとれるばかりでございました。こ、この人、ホンモノだ。

こんなすげぇ方と共演しないといかんのか、というので、相当プレッシャーもあるのですが、Mさん、いたって気さくで、全然偉ぶらない、本当に素敵な方なんです。最近よくこの日記で書く単語でいえば、実に「謙虚」な方。自分ができるのは当たり前、そのための努力は決して怠らない。一方で、その自分にできることを、どうやったらこの人たちができるようになるだろうか、この人たちができるレベルで、どうやったら美しく、舞台の上で映えるように見せられるだろうか、ということを常に考える。常に、視線は、客席と、演じ手の側にあって、決して「自分」の目線にない。

助演は待ち時間が多いので、練習場の片隅でバカ話をしていたりするんですが、そんなバカ話がまたすごく楽しい。歌の話とダンスの話、というのは、同じ舞台表現、という以上に似通っている部分がありますから、話していると、「へぇ、ダンスでもそうなんだ」「歌でもそうなのねぇ」という感じで、お互いすごく盛り上がったりする。先日盛り上がったのは、最近女房にしょっちゅう指摘される、「前拍」の話でした。「歌を歌うときに、拍の感じ方が『ジャスト』だと、音楽がすごく重たくなってしまって、歌の推進力がなくなる」という話。「常にアウフタクト=前拍を意識する。音が出たり、変化したりする前の拍の間に、次の音やフレーズのためのフォームをきちんと作る。その前拍の意識がないと、歌のキレが失われるんだそうです。私にはどうもよく分からなくて、女房に、『あんたの歌はいっつもジャストなんだよ!』って怒鳴られてばっかりです。」

そしたら、Mさん、「ダンスでも全く一緒ですねぇ。動きの前の拍でもう動き始めていないと、拍の頭で動き始めていたら遅れるものね。そうか、歌でもそういうことを言われるってのは面白いですねぇ」と感心されながら、こんなことをおっしゃいました。「でもね、お客様に、前拍をしっかり見せてしまう動きっていうのも、これがまたドン臭い動きに見えるんです。動きが始まる直前まで、どれだけ動かずに、準備した状態で我慢できるか。我慢して我慢して、ぎりぎりのタイミングでさっとキメる。そういう動作が一番美しいんですよ。」

Mさんにお会いしてまだ2日しかたたないのに、ものすごく沢山の、示唆に溢れる言葉を伺えた気がします。新しい出会いの中で、自分の全然知らなかった新しい知見に触れることができる。これって、色んな団体の舞台をお手伝いしているときの、一つの醍醐味だったりするんですよね。これからの練習の中で、なんとか、Mさんや伊藤さんのイマジネーションに負けない、「カンチガイ」な連中のお芝居を完成させていければな、と思います。一方で、「モンマルトルのすみれ」の、かっこいいパリジャンの役も煮詰めていかないといけないし…豆腐頭を精一杯駆使しなければ。ただの豆腐じゃなくて、腐った豆腐だもんなぁ。豆腐は腐ってるからいいのか?何度使う気だ、このネタ。