鬼九郎鬼草子〜戯作文学って追いかけてみたい気が〜

高橋克彦さんの「舫鬼九郎」シリーズ、ちょっと古いシリーズなんですが、割と好きで、先日、第二部の「鬼九郎鬼草子」を読む。読み進めて、途中で、あれ、これどっかで読んだことがあるような・・・と思い始める。でも、どんな話だったか覚えてない。でも、確かにこのシーンは覚えてる。要するに、一度読んだことのある本なのに、まるで覚えてなかったんですね。な、なんて情けないんだ。しかもそれに途中で気付くってのはどういうことだよ。いくら頭の中に豆腐が詰まっているといっても、これはあまりにひどいだろうが。

まぁ実はそれが「鬼九郎」シリーズの特徴なのかもしれないけどね。物語自体、面白いんだけど、中身があんまりないので、印象が薄い。むしろ、魅力的な登場人物たちの活躍が見られればいいんで、印象強い登場人物たちに比べて、物語の中身が薄い分、記憶に残らない。なんて本のせいにしてみる。お前の記憶力がニワトリ並だというだけの話だろうが。すみません。3歩歩くと忘れます。コケッ。

鬼九郎シリーズには、歌舞伎で有名な、幡随院長兵衛、唐犬権兵衛、天竺徳兵衛といった登場人物と、天海大僧正柳生十兵衛高尾太夫といった時代小説でお馴染みの人々、それに、高橋克彦さんの創造した舫鬼九郎というキャラクターが絡みます。解説にもあった通り、これは江戸の戯作文学の荒唐無稽な物語世界を、現代に持ち込んだ時代ファンタジー小説。そういう視点で、肩の力を抜いて楽しめる娯楽小説です。

江戸の戯作文学って、ちょっと追いかけてみたい気がしています。山東京伝なんて、ほんとに無茶苦茶な話を一杯書いているらしい。桜姫関連のお話は全然読んでないんだけど、「桜姫全伝曙草紙」とかも面白いらしいし。子どもの頃、江戸の滑稽話を子供向けに書き換えた本があって、その中に、金持ちの旦那が、「なんとかして金を無駄遣いして、すっからかんになってみたい」と、どんどん金を消尽するのだけど、かえってお金が増えていく、という話がありました。増えに増えたお金が、ついには空を飛んで、その旦那の家の金蔵に向かって滝のように流れ込んでくる。子ども心に、なんちゅう無茶苦茶な話だ、と驚いた記憶があります。時間も空間も何もかもをぶっ飛ばしてしまう想像力の凄まじい破壊力。

江戸文化への興味、というのは尽きないのですけど、同時期の上方文化や、大阪の町がどんな風だったのだろう、というのにも興味がある。現実が物語を凌駕してしまうほどに、ナンデモアリの現代において、江戸時代の奔放な想像力のパワーにもう一度触れてみたい、と思うのは、自然な流れなのかもしれませんね。