「ペガサスに乗る」〜アメリカ人ってのはよ〜

仕事の関係で、アメリカ人と中国人に悩まされることが多いので、個人的にはこの2つの国のことがどうも好きになれません。あんまり言うと過激な国粋主義者みたいになってしまうので、これ以上は書きませんが。面白いのは、アメリカ人と中国人って、間に立ってる日本人から見ると、なんだか結構似通って見えるんだよね。中国の中華思想と、米国の中央覇権主義。中国が、南部沿岸地域と内陸部の経済格差に悩んでいるのと同じで、米国もいわゆるブルーアメリカとレッドアメリカの格差に悩んでいる。「豊かであること・強いこと」=正義である、という思想も共有している気がするし、絶対に自分の非を認めないネゴシエーションスタイルも似ている。

アン・マキャフリーという作家は、「歌う船」シリーズが結構好きでした。「竜の戦士」とかも好きだったけどね。先日図書館に行った時に、ちょっと軽めのエンターテイメントを読みたいなぁ、と思って、アン・マキャフリーの「ペガサスに乗る」を読む。昨日読了。まぁ、ほんとに、なんてことない超能力もの。決して名作とはいえない。この日記で取り上げるまでもないかなぁ、と思ったんですが、2・3気になることがあって、書いています。

1つは、「歌う船」シリーズでも見られたのですけど、妙に古臭い倫理観が底層にある気がするんです。女性作家であり、女性を描くことの多い作家だと思うのですけど、その女性が決して「自立」しているように思えない。男性に対する渇望というか、常にパートナーを求めている感じがする。それ自体は自然なことなのかもしれないけど、なんか、もうちょっと一人で頑張ってみたら?なんて余計なことを考えちゃう。なんか、「女々しい」女性像が多い気がするんですよね。強いのだけど女々しい。同じ女性作家であるル・グィンが、「アースシー物語 第二部」で提示した、男女のあり方に対する多層的な視点とはかなり様相が違う。ヘンな言い方なんですけど、バリバリのキャリアウーマンが「所詮私は負け犬よ」なんて喚きながら居酒屋で男にしなだれかかっているような感じがするんだよなぁ。

2つめは、これが一番大きいのだけど、まぁあっけらかんとした楽天主義。ハリウッド式エンターテイメントの世界。後味は悪くはないんだけど、そんなわけないだろう、という理想主義で全編が覆われているような感じで、どうもむずがゆい感じがする。

男性優位の古臭い倫理観。あっけらかんとした楽天主義。強いもの=正義であるという理想主義。これって結局は、「アメリカである」ことなのかな、という気がします。もちろん、アメリカという国自体、極めて多層的ですから、そんなに簡単には語れないけれど、特に最近のブッシュ政権において表面に出てくる「建前主義」と共通する浅薄さを、なんだか強烈に感じてしまった。それだけ、人間が素直じゃなくなってきたってことなのかもしれないですねぇ。