芸術と猥雑

女房のインフルエンザはやっと峠を越えました。娘の発熱もなんとか落ち着いてきたようで、今日・明日あたり平熱が続けば、なんとか治癒証明書がもらえるところまできたようです。よかったよかった。そして、残業続きの睡眠不足、気管支炎を起こして体調ぼろぼろのはずの私は、結局現時点では感染していません。気管支炎も回復中。女房には、「きっと人間のウィルスが感染しないんだ。豚とか鳥に近いんだ」と憎まれ口をきかれております。負けてたまるか。

さて、今日は、先日の合宿の食事中に、ガレリア座主宰のY氏と話した「芸術と猥雑」についての話を。これがすごく面白かった。

「街の顔」という話をしていたのです。どんな都市でも、他の町並みから隔離された、極めて特徴的な一角、というのを有している。それが、都市の多層性というか、魅力を増している。ただ、そういう一角、というのは、非常に猥雑であったり、危険であったり、ある意味、貧民街のような、怪しい場所だったりする。大阪の西成あいりん地区などはまさにそういう場所ですし、「新宿歌舞伎町とか、まさにそうだよね。」という話をしていました。

でも、都市というのは、そういう、猥雑な、危険な、エロスと暴力、極端な貧困と極端な豪勢さが渾然一体とした地域を内包することで、その活力を保っているのかもしれない。整然とした学園都市として構想され、建築された街の周辺に、どこからともなくピンク街のような猥雑なエリアが勃興し、定着してしまった例も聞きます。そういう場所こそが、都市を支えるエネルギー源になっているのかもしれない。そして、そういう場所から、「オペレッタが生まれてきたんだよ」と、Y氏は言います。

「パリのキャバレーなんか、要するにストリップ劇場だからね。きれいな女の子が股を広げてるのを、びしっとタキシードで決めた紳士方が、鼻眼鏡で凝視している。そういう場所から、小唄やダンスが現われ、ちょっとした歌付き芝居から、オペレッタになっていった。」

Y氏は、オッフェンバックに始まったパリの世紀末オペレッタが大のお気に入り。世紀末の退廃と、猥雑と、洒落っ気と、人生への賛美と諦観と。エロスとアートの渾然一体化したカオスの世界。オッフェンバックオペレッタはどれもこれも素敵なのですが、それ以外にも、新宿オペレッタ劇場が取り上げた「ヴェロニック」など、パリ・オペレッタは魅力的な作品の宝庫なのだそうです。「そういうフランス・オペレッタは、元を正せば、ストリップ小屋から生まれたんだ。」

「だからね、オレはいつか、ストリップ小屋でオペレッタをやりたいんだよ」と、Y氏は言います。確かに、浅草フランス座やロック座が、単なる女の子の裸を見せる場ではなく、様々なコメディアンや浅草大道芸の芸人たちを生み出した、「芸の場」であったことは有名。「ちょっと時間があるから、フランス座で楽しんでくるか」というのは、浅草あたりの芸を支えてきた旦那衆の日常だったはずです。

芸術、なんて、そんな高尚なものじゃない。ストリップだって、そんなに低俗なものじゃないんです。浅草ロック座に出るストリッパーさんたちの肉体と踊りは、エロスの表現という芸の完成された姿です。オペラじゃない、オペレッタだからこそ、猥雑と芸術の境目のところで、思いっきり遊べるんだよね。ストリップとオペレッタの競演なんて、面白そうだと思いませんか?