台本を読む

自分も台本を書いたりすることもあるので、一つのお芝居の台本を読み込むのは好きです。今回の「乞食学生」の台本も、原典の台本にほぼ忠実なのですが、ラストシーンにさりげないエピソードを加えることで、現代的なテーマさえ持つ、深みのある台本に仕上がっています。フィナーレの曲の歌詞が、そのテーマをしっかり受け止めた、実にいい歌詞になっている。演出のY氏と、訳詞家まゆみちゃんの、みごとなコラボレーション。ここで種明かしをするわけにはいかないので、気になる人は、3月6日に新宿文化センターに急ぐべし。チケット発売中。ぴあでも買えるよ。

この台本の背景になっているのは、訳詞家の解説によれば、「ドイツ・ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト一世(在位1694-1733年)が北方戦争(1701-21)でスウェーデンのカール12世に破れ、スウェーデン派が擁立したスタニスラス・レクチンスキにポーランド王位を一時追われる年の動乱に材をとっている(1709年に復位)。」とのこと(まゆみちゃん、無断転載ごめん)。実際、台本にも、アウグストの名前や、レクチンスキの名前が頻出します。私が演じる、「オルレンドルフ」という役は、この、無能と言われるアウグスト王に忠誠を誓う武骨なザクセン軍人。武骨な癖に、ちょっと風流人を気取ったりする姿が滑稽、という役。

今考えているのは、この「オルレンドルフ」をはじめとするザクセン将校たち、というのは、周囲にいるポーランド人たちから見て、どういう人物なんだろうか、ということです。ポーランドというのは、他国の占領や分割統治の歴史に洗われ続けて来た国。今、ドイツ領だったとしても、明日はロシア領かもしれない。そういう中で、スタニスラス・レクチンスキという存在は、スウェーデンの後押しがあったとしても、ポーランド自身の国王、として、国民にとって希望の星だったはず。台本の中にも、そう思える記述がたくさん出てきます。

とすると、ザクセン将校たち、というのは、戦後日本のGHQみたいなもんか。でも、日本はある意味、非常に友好的かつ積極的にGHQを受け入れました。そういう友好関係、というのは、ポーランド人たちとザクセン将校たちの間にはあんまりない気がする。かといって、イラク駐留米軍のような、お互いがお互いを憎みきっているようなギスギスした感じでもない。駐留軍とそんな関係をいちいち作るには、ポーランド人は「他国の占領統治」に慣れすぎているはず。

たぶん、ポーランド人たちは、このザクセン将校たちを、表面上は敬いつつ、裏では何かにつけて笑っている、というような状態なんでしょうね。外から来た権力者に対して、表面上は恭順の意を示しつつ、命令したことは何一つきちんとやらない、みたいな。それに対して、なんとかバカにされまいと、実力以上の権威を振りかざしたり、貴族の流儀やマナーを必死に学んだりする(でも決して身につかない)のが、「オルレンドルフ」のような、中間管理職的な将校たちだったのかも。

中には、小ざかしく、権力者にすりよっていく連中もいるし、没落貴族の中には、権力者と婚姻関係を結んだり、すりよることで、自分の地位を保全しようとする者もいたでしょう。

そういう目で登場人物たちをもう一度見直してみると、これがまた面白く読める。以前、有名なオペレッタ「こうもり」が、当時の政治情勢を見事にパロディ化したものだった、という説明を、新宿オペレッタ劇場で聞いて、すごく納得したことがありました。歴史の中に作品を置くことで、さらに登場人物のキャラクターが見えてくる。特に、オペレッタのような、世相を色濃く反映した作品群というのは、歴史的な分析アプローチの中で、別の意味合いを持ってくることが多い。

台本を読み込むこと。楽譜を読み込むこと。この作品の中に隠れているたくさんの宝物を発掘する作業は、まだまだまだまだ続きます。そういう作業は、やればやるほど面白い。一つの芝居を作っていく上での、最大の醍醐味の一つです。