「原っぱ」〜道端のドラマ〜

池波正太郎という作家は結構好きです。作家が好き、というより、いわゆる3大シリーズが好きだったんですね。「剣客商売」で、そのキャラクターたちの魅力に取り付かれ、その後、「鬼平犯科帳」「仕掛け人藤枝梅安」を読破、3大シリーズは読んだのですが、他の作品は全く手をつけていなかったんです。踏み込むと、とことん付き合わないとダメかなあ、というシリーズが多いから、かなり勇気がいるんだよなぁ。

「原っぱ」という小説を選んだのは、シリーズものでもなく、単独の中編小説、という手軽さから。朝夕の通勤電車の中で、一気に読了。実にすがすがしく、実に豊かな読後感。すうっと前に向かって視界が開けるような、本当に爽やかなラストシーン。いい本でした。

個人的には、2つの点が面白かったです。1つ目は、ドラマの多くが、道端、という場所で起こっていること。道端に立つ老人。靴磨きの老女。ラーメン屋の屋台。これは、池波さんという作家が、路上をぶらぶらと歩きながら、行き交う人々を日ごろから観察していた、ということなのでしょう。その観察力の鋭さ、日常の何気ない光景からドラマをつむぎだすストーリーテリングの見事さ。でも、それ以上に思ったのは、最近の東京では、道端でドラマが起こっているのだろうか、ということ。自分が歩いていて、道端でドラマを見る、なんてこと、あるかなぁ。

確かに、靴磨きの老女、というのは、もう路上では見られなくなった光景でしょう。でも、おそらく今でも、路上ではドラマが起こっているのです。私自身が、それを見つけられないでいるだけ。道路、という場所を、ドラマの起こる場所、としてではなく、移動のための手段、としてしかとらえられていないから。そう思って、路上を見ると、これが実に面白い。昨夜も、残業帰りに、近くの「格闘技喫茶」(後楽園ホールが近いから、水道橋近辺にはこういう店がいっぱいあります)の軒先にぶらさげられたサンドバックを相手に、ケリをいれたりするポーズを携帯で撮っているOLの一団を見つけました。これなんか、ドラマの一場面になりそうじゃないか。

いい本というのは、ものの見方を変えてくれる本。この本を読んで、路上を歩くときに、行き先だけを見つめて一心不乱に歩くことで、どれほどの宝物を見逃しているか・・・ということに思い至りました。路上って面白い。

2つめの点は、小説が取り上げていたのがお芝居の世界だったので、舞台表現の隅っこをかじっているものとして、描かれている舞台裏の色んなディテールが結構面白かったです。劇作家の主人公が、「役者と相撲取りは住んでいる世界が違うのだから、楽屋には行かない」というポリシーを持っている、というくだりなんか、ぞくっとくる。そういう「違う世界の人たち」から見れば、僕らのやってる舞台表現なんか、ほんとに猿マネの芸に過ぎないんだよねぇ。一つの舞台を作っていく上での、出演者への根回しや、色んな手続きなんかもちらちらと出てきて、プロの舞台というのはこうやって作られていくのか、と、実に面白かったです。

解説に、「池波正太郎の世界はダンディズムの世界である。ダンディズムとは、自分に、『xxをしない』というルールを課していくことである。したがって、ダンディズムとは、ストイシズムである」という文章が載っていて、なんてカッコイイ文章だろう、と思いました。解説を書いた方のお名前を失念してしまったのですが、池波正太郎の世界を見事に表現した文章。『xxをする』ではなくて、『xxをしない』というルールこそが、ダンディズム。かっこいいなぁ。振り返ってわが身を見る。見るのはやめよう。こら、そこの人、オレのだぶついた腹を指差すのはやめてくれ。