歌舞伎役者さんたち

昨夜、NHKの、「その時歴史が動いた」で、二代目市川団十郎を取り上げていましたね。出演していた現市川団十郎が、「日本を世界に発信したい」というような趣旨のことをおっしゃっていました。その心意気には感服するのですが、一方で、「勘九郎さんは絶対言わないセリフだなぁ」と思っちゃった。

現在活躍されている歌舞伎役者さん達。上滑りなお芝居をするアイドルや若い役者さん達が多い中で、幼少の頃から鍛え上げられ、「役者」として作り上げられた皆さんですから、どの方のお芝居も、全く質の違う、非常に洗練されたモノを感じます。存在感が違う。でも、その中にも、個々の役者さんの個性のようなものが際立って見えてくる。伝統芸というのはそういうものなんでしょうね。代々引き継がれたものを演じているのに、役者さんの個性がくっきり現れる。

生のお芝居を拝見したことがある歌舞伎役者さんたちで、自分の好みで言うと、そういう個性には2つのパターンがある気がしています。観劇経験は浅いし、浅薄のそしりを覚悟であえて言うなら、以下の二つのグループでしょうか。
 
1:学究肌の役者さんたち

非常に真面目に、歌舞伎という形式にアプローチする役者さん達。往々にして、歌舞伎以外の表現形態(演劇やオペラなど)に積極的に進出する。市川団十郎松本幸四郎市川猿之助など。

2:自然派の役者さんたち

歌舞伎というのものを空気のようにとらえている感じのする役者さん達。日常の中で呼吸しているものだから、気持ちいいの、楽しいのがいいやね、みたいな感じ。歌舞伎の外の才能を歌舞伎に取り込む、というアプローチをされる方もいるが、歌舞伎以外の表現に進出する、という感じではない。中村勘九郎尾上菊五郎中村吉右衛門など。
 
個人的には、2のカテゴリーに入る役者さんの芝居が、やっぱり好きなんですねぇ。勿論、1のカテゴリーに入る役者さんのお芝居だってすごいんですよ。先日、TVでちらりと見た、幸四郎さんの魚屋宗五郎のお芝居なんか、幸四郎さんの真面目で堅苦しい感じがすうっと抜けた、自然体の素晴らしいお芝居。でも幸四郎さんらしく、計算され尽くした確実なお芝居で、やっぱりすごい役者さんなんだなぁ、と思いました。

でも、非常に失礼な言い方をしてしまえば、1のカテゴリーに入る方たち、というのは、何かしら役者としてマイナスの要因を持っていて、それを努力で克服してこられた方のような気がします。団十郎さんは、何と言っても声がダンゴ声。幸四郎さんも口説があまりよくない。猿之助さんは背が小さい方のように思いました。そういうマイナスの要因を、歌舞伎という表現を研究しつくすことで克服してきた。そういう努力が、歌舞伎に対する学究的なアプローチと、さらに別の表現形態にチャレンジしようとする姿勢を作ったのでしょうか。

それに対して、2のカテゴリーに入る方たちには、そういうコンプレックスのようなものを感じない。自然に、歌舞伎をもっと楽しもう、もっとお客様を楽しませよう、というサービス精神を感じる。勘九郎さんの中村座公演なんかも、「NYでやったら楽しいぜぇ」なんて、あのべらんめえの調子でどんどん広がっていく。自然体でありながらチャレンジング。そういう姿勢が好き。

上記のカテゴリー以外にも、役者になるために生まれて来たような、素質に恵まれた方々もいらっしゃいますよね。片岡仁左衛門なんか、もうため息が出るほど美しい。市川海老蔵さんなんか、まさに役者、という感じ。ほんとに綺麗だし、あの声の艶のよさはなんだ。多少芝居が若作りでも、ちょっとキャラクターが軽すぎる感じがしても、舞台の上で華があればそれが全てだよねぇ。

歌舞伎という表現は、役者の華が競われる場所。努力と学究で得た華だろうが、自然体で得た華だろうが、生まれついての華だろうが、華は華。それぞれの役者さんの個性あふれる華を楽しむ場所。勘三郎の襲名公演、今からほんとにワクワクしています。席が取れるといいんだけどなぁ。