大久保混声合唱団「遠くはるかな子守りうた」「光葬」〜基礎力+α〜

週末、大久保混声合唱団の練習に参加した女房が、先日の松山での全国大会の演奏CDをもらってきました。日曜日の朝、早速聴く。

「遠くはるかな子守うた」。最初に、川井敬子先生のピアノが、カーン、とした硬質な響きを鳴らした瞬間に、ホールからの残響とそれに連なるパッセージの間で、教会の鐘が鳴るような、澄み切った響きがしました。まだ朝もやがただようヨーロッパの石畳の街で、空の上から降り注ぐ陽光のようなような響き。その澄み切った響きのままに、人の声が、こんなにクリアに響くものか。

「遠くはるかな子守うた」(「風の満ちる日」から)(内城文惠 詩・大橋美智子 曲)は、今回のコンクールの課題曲として一般公募された中の一曲だった、と聞いています。透明感のある響きと、どこまでも明るく、澄み切った長調のハーモニーの中で、なぜか不思議な哀しさ、哀愁が漂ってくる。あんまり美しくて、涙が出てしまうような。曲の美しさも素晴らしいのですが、歌声がそのクリアな響きを保ちながら、きちんと日本語を日本語として届けてくる。

作曲者は、若くして亡くした自分の息子さんのことを思いながら、この曲を作曲したと聞きました。美しく、優しく、にっこりと微笑みながら、絶え間なく涙を流しつづける聖母像のような。そんな哀しい世界を、硬質な響きと柔らかな日本語で見事に表現した演奏。

「光葬」(宗左近 詩・山本純ノ介 曲)は、私がこの合唱団の定期演奏会を初めて聞きに行った時に演奏された曲です。自分の中では、宇宙の広がりを感じさせるようなダイナミックなサウンドを持った曲、という印象がありました。でも、松山での演奏は、この曲の持つメッセージ性、歌い手の強い意志が迸るような演奏だったような気がしました。

ある意味、「光葬」という曲は、そのサウンドや、客席にソリストを置いたりするケレン味に耳が奪われがちな曲だと思うのです。適切な例かは分かりませんが、富田勲シンセサイザー音楽のような、音空間の造型に意識が行ってしまって、日本語のメッセージやイメージと、曲との呼応があまり意識されない。

でも、大久保混声合唱団は、この曲の「言葉」を極めてクリアに届けてきました。その一つ一つの言葉が、言葉としてきちんと意思を持って伝わってくる。「またたく」という言葉の最初の「M」の子音が、「伝えよう」という強い意志を持って発せられる。「きみたち」という単語なんか、音楽的に、かつ言葉としてクリアに届けるのは非常に難しい言葉だと思うのですが、子音も母音も音程も見事に響いている。特に男声合唱の強い意志というか、気合のこもった声の力に感動しました。

曲の持つ元々のサウンドの美しさに、歌い手の意思が完璧に呼応して、この曲の新しい魅力を掘り起こした名演だったと思います。これは金賞演奏だ。本当におめでとうございました。

女房は、「都大会でも、練習でも、一度も出たことのない声が、本番になって初めて出た」と言っていました。都大会と本番の両方を聴いた先生方も、「全然違う曲でしたね」とおっしゃっていたそうです。本番になってそういうことができる、というのは、やっぱり日頃の練習で、細かい音程や母音や子音を研究しつくしているからじゃないのかなぁと思います。

マチュア合唱団は、本番になると、突然、今までになかった色や気合が入ることが多いですよね。でも、大抵のアマチュアは、本番のそういう高揚感をコントロールする技術を持っていなくて、妙に感情過多な、荒っぽい音楽になりがち。でも、大久保の演奏は、そういう本番独特の高揚感の中でも、母音や子音のクリアな響きや、音程の確かさといった技術的な部分で、非常に高度なテクニックを聞かせてくれていたように思います。それって、やっぱり日頃の練習で鍛えた基礎力なんじゃないかなぁ。基礎力に、本番という特殊な環境がプラスアルファをくれると、一気に別の次元に飛ぶことができる。基礎力がないと、そういう飛躍ができずに落下してしまう。

本当にいい演奏だと思いました。しかし、川井先生のピアノはほんとにすごいなぁ。小さな無数のビー玉がぱぁっと散っていくような、高音から低音までむらのないクリアな響き。辻志朗先生になってから、大久保混声の声はクリアさを増したような気がしているのですけど、川井先生のピアノも、そういう色合いに本当にぴったり。

クリアさを増した、という言い方をすると、「じゃぁ正行先生の時は雑だったのかよ」と言われそうですが、実際、正行先生が指導されていた大久保混声には、結構粗さもあった気がするんです(なんて、偉そうに言えるほど、いい耳してるわけじゃないんだが)。でもその粗さが、正確な拍感や音程では出てこない、じわっとしみるような人間味、温かみにつながっていた気がする。志朗先生になって、クリアな響きが生まれてくると同時に、失われたものもあると思います。でも、そうやって生まれ変わった大久保混声が、志朗先生の元で新たに身に付けたクリアな響きで、金賞という結果を獲得した、というのは、この合唱団のファンとして本当に嬉しいこと。これからも、一級のパフォーマンスで、古今東西の様々な曲の新しい魅力を発掘していってくださいね。別に、日本を表現しろ、とまでは言いませんが。