「オーケストラ・リハーサル」〜フェリーニの猥雑〜

フェデリコ・フェリーニという監督さんは、学生時代に映画を固めて見ていた時期、少しだけ追いかけたことがありました。「カサノヴァ」「ジンジャーとフレッド」「道」「甘い生活」「インテルビスタ」そして、「オーケストラ・リハーサル」を見ています。同時期に、ビスコンティの各作品を追いかけていたのですが、同じイタリアの映画監督でも、この違いはなんだろう、といつも思っていました。

同じ貴族の退廃を描くにしても、「カサノヴァ」の猥雑さと、「ルートヴィッヒ」の気品の差はなんだ。ビスコンティが、ひたすらに美しいものを追求していったのに対して、フェリーニは、グロテスクなもの、ナンセンスなもの、ぐちゃぐちゃしたものを、がむしゃらに追求していたような気がする。エログロの中から匂いたってくる人間の真実、のようなもの。一本のストーリの周りに、これでもかこれでもか、とばかりにべたべたと塗りたくられたハチャメチャなエピソードたち。それが猥雑であればあるほど、真中を貫いているテーマの純粋さが浮かび上がってくるような。「道」のジェルソミーナの無垢な瞳。「カサノヴァ」の好色。そして、「オーケストラ・リハーサル」の音楽。

フェリーニ、という監督の出自によるものかもしれませんが、そういうハチャメチャさ、猥雑さが受け入れられる、イタリアという土地の風土もある気がします。そういう意味で、フェリーニ作品というのは、やたら騒々しい根っからのイタリアのおっさんが、あれもこれもとびっくり箱風に詰め込んで詰め込んで作った映画、と感じがすごくする。

昨夜、BSで録画していた「オーケストラ・リハーサル」を見ました。ほんとにヘンな映画です。全体が、政治的寓話になっている、というのは何となく分かるのだけど、そういう全体の寓話のインパクトの強さもさることながら、出てくる役者さん達がみんなヘン。フェリーニの映画の登場人物で、整った顔立ちの美男美女を見たことがあんまりない気がするんです。マストロヤンニはちょっと違うポジションにいるけど、他の役者さんは誰も彼も、ヘンな顔。まともな顔をした人が殆どいない。やたら舌が長くて眉毛の濃いフルート吹き役の女優さんとか、全体のバランスが間違っているとしか思えないチェロ弾きのおっさんとか。これじゃサーカス団だよ。フェリーニといえばサーカス。

学生時代に見たときにはあまり思わなかったのですが、今回見直してみると、各楽器の個性の捉え方が面白かったです。ハープ弾きのおばさんは夢見る万年少女。チェロ弾きのおじさんはいろいろウンチクを垂れるのだけど、茶々ばっかり入れられてる。バイオリニストは喧嘩ばっかり。打楽器奏者たちは革命家を気取り、クラリネット吹きはホラ吹きだの、練習中にサッカー中継に夢中になっているやつだの、やたらマイペース。フルート吹きはエキセントリックで、コントラファゴット吹きは自分の境遇を嘆き、オーボエ吹きは哲学者。金管の連中はやたらに陽気。そして指揮者はドイツ人の短気な兄ちゃん。納得できるところもあるけど、自分の思っている楽器のイメージとちょっと違うところもある。

リハーサル室が、鉄球が象徴しているもの、オーケストラが、指揮者が象徴しているもの。それらについては、数々の映画評論が恐らく述べ尽くしていると思いますので、ここではあまり触れません。久しぶりに見直したフェリーニの映画を見て、フェリーニの猥雑さと、こんな猥雑な映画を撮る監督が、国民的監督として国葬にまでなっちゃう、という、イタリアという国自身の猥雑さについて、ちょっと考えちゃいました。