場の魅力

昨夜は、女房が、エマニュエル・パユのフルートの演奏会に、初台のコンサート・ホールに出かける、というので、初台で落ち合い、娘とデートして参りました。

オペラシティのビルの高層階で食事をして、あとは、1階・2階のお店を覗いたり、コンサートホールの階段で遊んだり、という感じだったのですけど、娘は結構大はしゃぎでした。コンサートホールの前の長い階段で、段に埋め込まれたデジタル表示の数字が変化するのを見て面白がる。階段の途中の壁から聞こえる水の音(スピーカーが埋め込まれていて、音を流しているようなのです)に驚く。ビルの地下1階の吹き抜けに立っている、金属製の巨人像を眺めながら、口を動かして喋っている声(これもどこかにあるスピーカーから流れている)に耳を傾ける。エレベーターホールに立っているブロンズ像にちょっと触って走って逃げる。オペラシティのビルは、色んなアートが組み込まれた面白いビルですから、子供が楽しめる色んな仕掛けが沢山あるんですね。

以前、パフォーマンスを高めるための「場」の大切さについて、この日記に書いたことがありました。パフォーマンスへの満足度を高めるためには、劇場、という「場」自体が魅力的であることも、とても大事な要素だと思います。劇場を含めたその「場所」自体の魅力。そういう意味で、初台の新国立劇場が、うちの娘にとって、面白い「空間」=「場」として認識されたのなら、とても嬉しいこと。今後、父母と一緒にオペラを見に行こう、と娘を誘ったら、「あの楽しそうな『場所』に行けるんだ」とわくわくしてくれるといいなぁ。「観劇」=「ハレ」の「場」=「場所」。

女房はいつも、「歌舞伎は歌舞伎座で見なきゃダメ」と言います。それこそ、調布駅前のグリーンホールでだって、歌舞伎の公演は開催されている。松緑の襲名披露公演までやっててびっくり。でも、やっぱり歌舞伎座は特別な「場」なんです。劇場に向かう銀座の街並みをぶらつく所から、もうお芝居は始まっている。劇場のロビーに集うお客様たちのさざめき、幕間にいただくお食事から、売店でのお買い物、帰りにちょっと百貨店に足を伸ばしてのお買い物やお食事まで、その日一日の行動全てが、「観劇」というイベントを構成する要素。

NHKホールやオーチャードホールが、なんだか今ひとつな感じがするのは、ホールの構造もありますけど、渋谷や原宿の街並みが、「観劇」というイベントにふさわしいたたずまいを持っていないことも、大きな要因だと思います。東京文化会館はいいですよね。サントリーホールも、赤坂見附の駅近辺はイマイチだけど、ホール周辺の雰囲気は素敵。新国立劇場も、オペラシティからホールに至る雰囲気は実にいいけど、甲州街道が喧しい。トッパンホールは駅から遠すぎる。新宿文化センターは、道をはさんだお向かいの再開発がどう進むかでかなり変わりそう。トリフォニィは新日フィルと共に頑張ってるけど、錦糸町駅前の街並みはやっぱりいただけない。

無闇にホールを作って、中身を充実できず、お客様も呼べず、典型的なハコモノ行政に陥っている例が沢山あります。魅力的なホール、というのは、中身の充実も勿論ですけど、そのホールを包み込む「場」全体の魅力をどう高めるか、というのも、大事な観点のような気がします。本当にいいホールというのは、地に足ついた街づくりそのものと、深く関わっているんでしょうね。

ちなみに、女房は、パユのフルートにすっかり幻惑されて帰って参りました。フルート、という楽器の制約を全く感じさせない、変幻自在の演奏だったそうです。気合を入れてお着物を着ていったのも、いい気分だったらしい。お友達のご好意で、今度、サントリーホールゲルギエフの「悲愴」を夫婦で聴きにいけることになったので、その時は夫婦そろって、お着物着て行こう。演奏会もお芝居もオペラも、何と言っても、「ハレ」の時間ですから。