全部一から作り直し

土曜日は、女房が小田原の合唱団のお手伝い。夜、娘と一緒に、ガレリア座の練習に参加。日曜日は、実家から母親が上京してきたので、ガレリア座の練習はお休みし、親孝行しておりました。深大寺にそばを食べに行ったり、神代植物園で菊を見たり。お天気のいい週末で、気持ちよかったです。
 
さて、土曜日のガレリア座の練習では、色々と新局面が出てきました。前に進むほどに、全体像が見えてきて、わくわくする部分と、気が重くなってくる部分が半々。今の所は、後者の方が大きいかなぁ。一体どうなるんだろう、という不安の方が大きい感じ。

まず、台本が仕上がってきました。原作のニュアンスを活かしながら、冗長な部分は刈り込み、新しい要素を強調した、メリハリのあるいい台本。ラストでは、私のやるオルレンドルフとシモンの見せ場が新たに加えられており、深みのある面白いホンに仕上がっています。さすがY氏、大野和士さんとベルギーで、ただ酒かっくらってただけじゃないんだなぁ。

いいホンなんだから、面白くやらないといけないんだけどねぇ。どう作るか、今から頭抱えています。オペレッタの場合って、歌は勿論頑張らないといけないんだけど、セリフの部分の出来不出来で、全体の印象が大幅に変わっちゃう。特に、ガレリア座の公演には、音楽通の人もいらっしゃるけど、クラシック音楽にあまり触れたことのない人たちもいらっしゃる。そういう人たちにとっては、セリフ部分が、音楽に入り込むための入り口というか、導入部分になっている。ここをスムーズに、暑苦しくなく、かといって印象薄くなく、しっかり仕上げないと、折角の音楽も活きてこないんだよね。

とにかく淡々と、ヘンな色気を出さずに、きちんと一つ一つのセリフを飛ばすこと。そこを出発点にして、1から作っていかねば。

さらに、合唱と一緒に歌うナンバーでも、課題発生。ソロパートと合唱部分が交互に現れるのですが、ソロパートを歌い切った後、合唱部分の音域が自分にとってはすごく高いのです。高音のミ(E)あたりの、自分にとっては一番出しにくいところで、延々歌っていたりする。そこを歌って疲れ果てた後に、またソロが出てきたりする。全体のペースを考えて、きちんと歌う部分と、言い方は悪いけど、かなり手を抜く部分を作っていかないと、肝心のソロ部分を聞かせることができなくなりそう。来週は音楽通し練習なので、そういったペース配分も考えながらやっていかないとダメだ。

最後に、一番困ったのが、訳詞です。日本語の歌詞が一部についてきたのですが、日本語になった途端に、今まで作ってきたポジションとか、意識が全部ぶっ飛んでしまう。もちろん、いい効果もあって、フレーズの意味付けとか、作り方は明確になったり、日本語のおかげでいいポジションに入ったりすることもある。逆にまたヘンな色気が出てきてしまう部分もある。基礎の発声フォームが出来ていないのに、余計な色づけをしたくなってしまう。それでノドで声を作って、自滅。どっちかというと、悪いパターンの方が多い。

原語、あるいはエセ原語でひたすらやってきたことは、フレーズごとのフォームをきちんと確立することだったはずなのに、日本語になるとそれがすっとんでしまう。なので、もう一度、日本語でのフォームを作り直す所からスタート。それは、日本語の歌詞をきちんと客席に飛ばす、という課題と向き合いながら、体のフォームと、日本語の間の妥協点を見つけていく作業です。原語でやってきたことと、新たに与えられた日本語との間の落とし所を見つけていく作業。

こういう作業には時間がかかります。なんども日本語のフレーズを歌いこみ、自分が歌いやすいフォームと、周りが聞いてちゃんと日本語が聞こえるようなフレージングを見つけていく。時には、訳詞に少し手を加えさせてもらうこともあります。そうやって、日本語歌唱を自分のものにしていく作業。

だからね、訳詞はとにかく早く欲しいのだよ。ある程度生煮えの状態でもいいから、早く欲しいの。歌ってみて、音楽監督のNくんと、「今のフレーズの日本語、ちゃんと聞こえてる?」とか、「ここの日本語を生かすと、多少ポジションが崩れるけど、いいよね」とか、そういうディスカッションになるべく多くの時間を割きたいんです。

でも、土曜日の練習で、訳詞の仕上がりには年内一杯かかる、というY氏のお知らせがありました。実質2ヶ月で、どこまでその日本語を自分のものにできるか、正直、自信ありません。結果的に、折角の日本語歌詞が、お客様にはきちんと届けられない結果になっちゃうかもしれない。そうならないように頑張りたいけど、時間がなさすぎる。せめて、来週の通し練習までに、主要な部分の訳詞が仕上がっていますように・・・Mさん、なんとかお願いします!!!!