「笑ってこらえて」全日本吹奏楽コンクール〜日頃の走りこみだよ〜

昨夜、日本テレビでやっていた、「笑ってこらえて」という番組で、全日本吹奏楽コンクールに挑む高校生たちの姿を追っていました。以前の放送をちらっと見ていて、面白そうだ、と録画。葛飾区の文化祭帰りの女房と一緒に見てしまう。

特に注目されて取り上げられていたのは、3つの高校。1つが、青森山田高校。2つめが、大阪の淀川工業高校。3つめは、千葉の習志野高校。この3つの高校が、音楽的な意味で非常に対照的で、すごく面白かったです。

女房とも一致したのですが、我が家での最高得点は、大阪の淀川工業高校でした。音が違うんです。全国大会に行けなかった青森山田高校の演奏と比べると、全然音が違う。青森山田高校の演奏は、確かに気持ちはこもっているんですけど、技術がついていってない感じがする。音がぼやんとぼやけて聞こえる。でも、淀工の音は、すごく芯があり、カーン、と音が飛ぶ感じがする。音に芯があるから、倍音が豊かに響く。女房に言わせると、「レンジが違う」。

この淀工の練習風景、というのが異様なんです。早朝5時から、夜の10時過ぎまで、ひたすら練習している。それも個人練習です。アンサンブル練習でもなければ、パートリーダーを中心としたパート練習でもない。ひたすら個人の技量を磨く練習。

セカンドクラリネットの3年生が、「命かけたロングトーンです」と言いながら、ひたすらロングトーンを練習している。要するに、基礎練習です。恐ろしく体育会系の練習。ひたすら走りこむ。

これに対して、指導されている先生も、関西の高校の先生らしく、吉本あたりのお笑い系のオッサンみたいな先生(失礼)。TVですから、かなり誇張もあると思うのですが、音楽的な指導をされている姿がほとんど放送されない。罵声を浴びせているか、気合を入れているか、ギャグを飛ばしているか、そんな姿ばっかり。実際、関西大会の本番の前日まで、曲の構造や、作りについての指導はほとんどなされなかったようです。ホールの大きさに合わせて自分の力をセーブしてしまう生徒に、グランドで、とにかくでかい音で吹かせてみたり。これまた極めて体育会系。

そして、本番の前日に、いきなり、「もっとおもろい曲にしよや」と言い出し、やっと、フレーズに色をつけ始める。それも、難しい言葉ではないんです。すごく簡潔な言葉で、フレーズのイメージを与える。すると、生徒の音ががらりと変わる。

そのシーンを見ながら、先生は、フレーズに色をつけるための指導方法、どういう言葉を子どもたちに与えればいいか、ということを、ずっと前から用意して、考え抜いてきたんだろうな、と思いました。でも出さない。生徒の側がそれを受け取れる状態になるまで、ずっと我慢して我慢して、待っているんです。罵声も、気合も、ギャグも、生徒の状態を高めるための手段。そして、生徒がそのイメージを受け取れるようになった、と見極めてから、やっと手渡す。これはタダモノじゃない。

手渡された子どもたちが、またこれに見事に答える。その答えかたを見て、女房が、「基礎力だよ」と呟きました。早朝から深夜まで、ひたすら磨いた基礎体力があるから、先生が与えたイメージをすぐに音に変えることができる。ひたすらロングトーンを練習しているうちに、いつのまにか、そういう実力が身についているんです。

昔、「ベストキッド」という映画で、空手の達人に弟子入りしたひ弱な少年が、ひたすら車磨きをさせられる、というシーンがありました。決められたフォームで、ひたすら車を磨く。何のためにやらされているのか、少年には全然分からない。2週間ほど、ひたすら車を磨かされた後、達人が突然入れてきた突きに、少年の体が自然に反応する。車磨きは、防御の型を体に身に付けるための基礎練習だったんです。

習志野高校の演奏は、対照的にスマートです。指導も音楽的だし、練習もシステマティック。生徒一人一人の実力は、既に入学した時からある程度完成されている感じがします。高校に入って初めて楽器に触った子供たちが多い、淀工とはかなり様相が違う。既にある程度の技術は完成されている。

でも、どこかスマートすぎて、物足りない感じがするんです。基礎力がないのに、表面的な技術だけで、上手く聴こえるように作っているような感じがする。もちろん、素晴らしい演奏なんですよ。TVで放送された一部分だけを取り上げて、こんな失礼なことを言う筋合いは全然ない。みなさん、すごく努力されているとは思うんです。でも、なんとなくそういう、その場をうまくこなしてしまうような、小器用な感じが透けて見える気がしてしまいました。

女房が言っていたのですが、関西の音楽愛好家たちは、学生時代に音楽を始めて、大学に入っても、社会人になっても、ずっと音楽を続ける人たちが多いそうです。学生時代に、音楽をやる体が出来ている。その体が、音楽を楽しむ基礎力を身につけているんでしょうか。

一方で、関東や東北で、学生時代に音楽をやった人たちは、社会人になると音楽をやめてしまう人が多いそうです。音楽に対して、がむしゃらに向かっていくのではなくて、どこかスマートに、小器用に接してしまうと、本当に音楽を楽しむ基礎体力が失われてしまうのかもしれません。

女房と、やっぱり音楽に必要なのは、走りこみだねぇ。という話をしていました。もっと走りこみをやらんとなぁ、と、自分のだぶついた腹を見下ろす39歳でありました。