後悔という感情〜永遠のマリア・カラス〜

以前、手慰みで小説を書いていた頃、「後悔という感情ほど役に立たない感情はない」という文章を書いたことがありました。後悔したって、失われたものは戻ってこない。そのくせ、これほど心をさいなむ感情もない。あの時、こうしていれば。あの時、どうしてこうしてしまったのか。どう考えても間違っていた自分の決断。そのために傷ついた自分の心、永遠に失われた友情。思い出すたびに、心がきゅんと身を縮めて、過去の時間をなんとか取り戻したいとあがく。でも、過去は決して戻ってこない。

「永遠のマリア・カラス」という映画を見て、ずっと、この、「後悔」という言葉を思いつづけていました。ゼフィレッリ監督は、マリア・カラスが死んでしまった日から、25年間もの間、ずっと後悔しつづけてきたんだろうな。どうしてあの時、私はカラスを助けることができなかったのか。あの絶望の日々から、彼女を助ける方法はなかったんだろうか。例えば、こんなことを彼女にしてあげることはできなかったか。そうしたら、彼女はどう言っただろうか・・・

その思いが、この切ない映画を産んだのだとしたら、「後悔」という感情も決して捨てたものじゃない。映画としての完成度、という点や、感動、という点で言えば、他にもっと素晴らしい映画は沢山あると思う。この映画を評する文章をネットで見ると、この映画から感じとれるものに対して、不思議と戸惑いのようなものを含んでいる気がします。いい映画だと思うのだけど、凡庸な映画のようにも見える。何か、言葉にし難い執念のようなものが込められているのは感じるのだけど、映画としてはよく分からないところがある。

映画作品としての完成度以外のところで、監督の情念のようなものがこのフィルムにまとわりついている。その情念の炎の冷たさ、熱さ、が、見る人を戸惑わせるのでしょうか。でも、このフィルムを、ゼフィレッリ監督の純然たるプライベート・フィルムだ、と思って見れば、つまり、観客としてでなく、ゼフィレッリ自身に感情移入して見始めた瞬間、一つ一つのシーンが、カラスへの愛情と、後悔と、同情と、喪失感に満ちていることに気付く。

作り手が、作品に対してそこまでウエットな感情で臨んでしまうと、作品自体の完成度はやはり殺がれてしまう。それでも、映画職人としてのゼフィレッリは、なんとか自分を保ちながら、作品自体を「秀作」と言えるレベルにまでまとめることに成功している。逆に言えば、カラスを取り上げた映画をきちんとまとめることができるまで、ゼフィレッリには、25年という年月と、80歳という自分自身の加齢が必要だったのじゃないかな。そう思います。

カラス役のファニー・アルダンに対しては、おそらくゼフィレッリが、偏執狂に近い状態で、カラスの再現を求めてきたのであろうと思われます。彼女はそれに十分に応えている。最初登場してきた時には、ぶくぶくと醜く太って、「これがカラス?」と思わせるのですが、自分を表現する場を与えられ、輝きを増すに従って、我々の知る「カラス」にどんどんそっくりになっていく。その変化にも驚かされます。晩年のカラスと、往年のカラスの両方を知るゼフィレッリが、彼女に求めたことに対して、自分の身体そのものを変貌させることで応える。その役者魂のすごさ。

ジェレミー・アイアンズは実にいい役者さんなのですが、この作品では、彼の目に注目するべきでしょう。彼がカラスを見つめる視線。ゼフィレッリ自身がカラスを見つめていた視線。常にいとおしみながら、時には苛立ち、時には賛美するその視線の優しさ。ゼフィレッリは、自分自身を非常に客観的に描写しようと努めている。カラスを表現するよりも、ゼフィレッリ自身を描写する時の方が、むしろ映画的には成功しているような気さえします。

ゼフィレッリのオペラ演出の真骨頂とも言える、絢爛豪華なカルメンのシーンでさえ、「オレのこのカルメンの舞台で、カラスに演じて欲しかったのに!」というゼフィレッリの怨念のようなものを感じます。全てのシーンが、カラスなら絶対にこうした、という確信と、カラスにこうしてほしかったのに、という後悔に満ちている。それはきっと、25年間、「カラスならどうしただろうか?」という問いかけを自分に投げつづけたゼフィレッリだからこそ、表現できたこと。

映画作家が、主演女優に入れ込んで一本の映画を撮る、ということはよくあることです。かつてのスタンバーグ監督とディートリッヒの関係のように。しかし、一人の表現者に対する個人的な思いを、ここまで一本の映画の中に塗りこめた作品、というのは、なかなかないのじゃないかな、と思います。映画の最後、立ち去っていくカラスの背中の映像の上に、カラスの死を告げるエンドクレジットが挿入される。このシーンを、ゼフィレッリは、ほとんど号泣しながら撮影したのでしょう。あの背中に駆け寄りたい、駆け寄って、もう一度振り向かせたい。その涙の、その思いの、なんと熱いこと。

映画作品としてどうか、というよりも、その作り手の熱い思いが、見るものを感動させる。こういう作品もあるんだなぁ、と思いました。見終わった直後よりも、思い出してじわっと泣けてくる、そういう映画です。