新国立劇場「カヴァレリア」・「道化師」

昨日、新国立劇場で千秋楽を迎えた、「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」の公演を見てきました。

指揮 :阪 哲朗
演出 :グリシャ・アサガロフ
合唱 :新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団
主催 :新国立劇場

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キャスト
カヴァレリア・ルスティカーナ
 サントゥッツァ :エリザベッタ・フィオリッロ
 ローラ :山下牧子
 トゥリッドゥ :アティッラ・B・キス
 アルフィオ :青戸 知
 ルチア :片桐仁

道化師
 カニオ :ジュゼッペ・ジャコミーニ
 ネッダ :ジュリエット・ガルスティアン
 トニオ :ゲオルグ・ティッヒ
 ペッペ :吉田浩之
 シルヴィオ :ルドルフ・ローゼン
 児童合唱 :世田谷ジュニア合唱団
 児童合唱指揮 :掛江みどり

という布陣でした。

蔵こんでご一緒したヴァイオリンのS氏が、「とにかく大変なことになっているから絶対行け!」との連絡をくれて、慌てて楽日のチケットを取ったのです。座席は偶然、先日サントリーホールでのガラ・コンサートでご一緒した、メゾソプラノの三角 枝里佳さんの隣になりました。美人の側でオペラを楽しむなんて、もうそれだけで幸せな気分。

ネット上での情報や、S氏などからの情報から、概ね、「カヴァレリアはヒドイ」「ジャコミーニがスゴイ」という評価を事前に貰っていました。こういう情報が事前にあるのはあんまりよくないですね。ヒドイと言われればそんなもんか、と思って聞くし、スゴイと言われれば、必要以上に期待してしまう。結局、マイナスの影響だけが残る結果になりがち。なので、以下の評は、こちらがそういう心構えで見てしまった、というのを差し引いて、読んでほしいと思います。

まずはカヴァレリア。そんなにヒドイとは思いませんでしたが、そんなによくない。以前、カルメンの時にも書きましたけど、「ぬるい」感じがしました。舞台上にきゅうっと吸い込まれていくような瞬間がない。カヴァレリア、という演目は、ある意味そういう、ぐうっと持っていかれるような感じになりやすい演目だと思うんですが、驚くほどそういう瞬間がない。勿論、パフォーマンスは一級なんですよ。だから、非常に贅沢なことを言っているんだとは思うんですが。

原因はいくつかある気がするのですが、全体のバランスの悪さ・・・というのが根本にある気がしました。オケと合唱は非常に端整に作られすぎていて、上手なのだけど血がたぎらない。ルチアは感情過多で演技過剰。もっと何もしない方が絶対にいいのに、芝居も声もやりすぎ。サントゥッツァはパワーはあるけれど、声の芯がぼやけてしまうほどのビブラートで、トゥリッドゥとの二重唱が、土管の中で歌っているみたいにぼやけてしまった。トゥリッドゥも同じような芯のなさ。アルフィオも妙に演技過剰。ヘンに悪役の声を作ってしまっていて、本来の声の輝きがくすんでしまっている。

うわ、なんだか無茶苦茶言っちゃいました。すみません。何度も言いますが、非常に贅沢なことを言っているんです。パフォーマンスは一級ですし、所々で、おおっと思うような音が聞こえたところもありました。序曲で、低弦が、サントゥッツァの動悸を表すような、不安な響きを鳴らすところ。後半の乾杯の合唱の男声の岩のような響き。素晴らしい音が時々鳴るのですが、それが全体の流れにつながってこない。カヴァレリアは、縦の構成よりも横の「流れ」がどれだけ流れるか、どれだけ歌えるか、という演目だと思うのですが、非常に散漫な感じになってしまった気がします・・・ああ、また偉そうになっちゃった。自分の中で、ドミンゴのトリッドゥや、マイヤーのサントゥッツァなんかと比べちゃうからいけないんだよね。

以前から思っているのですが、カヴァレリアというのは、実は運命悲劇なのではなくて、サントゥッツァの嫉妬心から来る性格悲劇、つまり、女版オテロなんじゃないか、という気がしているのです。ローラとトリッドゥの不倫、というのは、本当にあったことではないのじゃないか。ローラの家の側をただトリッドゥが歩いていた、それを見たサントゥッツァが、嫉妬に狂って頭の中で妄想してしまった幻想だったんじゃないだろうか。冒頭のトリッドゥのローラを思う歌も、サントゥッツァの頭の中で鳴り響く幻聴なのではないか。そう思うと、不倫を認めて決闘に赴くトリッドゥは、サントゥッツァの嫉妬心を一身に背負って死に赴く、非常に悲劇的な人物に見えてくる。つまり、トリッドゥは、もうローラへの未練は捨てて、心底サントゥッツァを愛しているのに、サントゥッツァはそれを信じてくれない。トリッドゥとサントゥッツァの二重唱の中で、「サントゥッツァ、俺を信じてくれ!」とトリッドゥが歌うフレーズは、私の中では、「こんなに愛しているのに、どうして俺を信じてくれないんだ!」という絶唱に聞こえるのです。(ちなみに、今回の演出では、ローラとトリッドゥの不倫の場面をサントゥッツァが目撃するシーンがあり、不貞の実在をはっきり示していました。舞台中央の二階にあたるところにローラの部屋があり、その存在が、登場人物たちの上に重くのしかかっている、という演出でした)

さて、道化師です。

道化師、というのは、確かにカニオのためのオペラだと思います。カニオがどれだけ存在感を示せるかによって、舞台の出来が全て決まってしまう。そういう意味で、予定されていたカニオのキャストが変更された、というのは、プロダクションの成否を揺るがしかねない大事件だったと思います。そこで、ジャコミーニを呼び寄せた、という点で、今回の成功は、トーマス・ノヴォラツスキーの大金星だったんじゃないかなぁ。

ただ、公演の成功は、ジャコミーニの熱演だけでなく、脇を固めたソリストのバランスのよさのおかげもあったと思います。ネッダ役は、若干音程に不安がありましたがそつなくこなした、という感じ。シルヴィオも同様。ペッペの吉田さんは実によかった。個人的には、自分がバリトンということもあり、トニオ役のテッヒさんの歌唱と演技に一番しびれました。プロローグの歌を聴いただけで、ぐいっと舞台に引き込まれてしまう。演技的にも、特に何か特別なことをしているわけじゃないんです。何もしていないのに、ぐぐっと持っていかれる感じ。これがオペラだよなぁ。

ジャコミーニについては、とにかく評する言葉を知りません。ベテランだからこそ、この役を知り尽くし、研究し尽くしているからこそ、できる円熟の技。驚くほど何もしません。演技的には、何一つ特別なことはしないんです。ただ歌っているだけです。なのに、カニオそのものなんです。「衣装をつけろ」についていえば、もっといい「衣装をつけろ」を聴いたことは何度もある気がします。でも、ジャコミーニの「衣装をつけろ」は、何のてらいもなく、ただ身についた歌を淡々と歌っているような感じがしました。言ってみれば、蒔絵職人さんが、永年の修練で身につけた筆遣いで、何でもないようにすらすらと美しい絵柄を描いていくような。

60歳を越えて、まだこれだけのドラマティック・テノールの声が出る、そしてその声と歌が、会場全体を包み込んでしまう、このオーラの強さ。彼の存在だけで、同じ合唱団や、同じオケが、カヴァレリアの時とは全然違う熱さ、全然違う緊張感で鳴り響いていく。舞台全体のクオリティが上がるんですね。本当にすごいなぁ。

カーテンコールは、ご本人も感無量だったのではないか、と思います。ほとんど引退同然だった、と言いますから、この舞台を勤め上げた充実感は、格別だったでしょう。カーテンコールで、膝を負って全身で感謝を表している姿に、また感動しました。

全体的に、惜しむらくは、最後まで、イタリア的な歌の流れと、オケとの間のコンセンサスが取れなかったような感じがあったことです。ジャコミーニ自身が体で拍を取っているような場面も何度か見られたのですが、どこかで、オケがぐっと来てほしいところで来ないような、欲求不満の感覚が最後まで残ってしまった。

ジャコミーニさんの嬉しそうなカーテンコールを見ながら、ひょっとして、歴史的な舞台を見ることができたのかも、と、こちらも満足して会場を去りました。ロビーでは、先日のカルメンの舞台で、ミカエラ役で感動させてくださった、大村博美さんをお見かけしました。普通にロビーに立っていても、スタイルがよくて、華やかなオーラをまとった方です。