チャールダッシュの女王のこと

昨日の日記で、「チャールダッシュの女王」への思い入れについてちらりと書きました。今日はこのオペレッタのことを詳しく書きたいと思います。

最初にこのオペレッタに出会ったときのことは、実はよく覚えていません。確か、大学生で、合唱を既にやっていて、オペラやオペレッタに興味を持ち始めた頃だったと思います。今手元にCDが無いので、詳細なデータが無いのですが、多分、1982年ごろに、東京文化会館に初めてフォルクスオーパが来日し、メリーウィドウ・ウィーン気質にあわせて、この「チャールダッシュの女王」をやったのです。この公演の映像が、NHK教育で放送されたのを見たのが、初めての出会いでした。

非常に幸福な出会いだった、と思います。この公演の「チャールダッシュ」は、当時のフォルクスオーパのスター歌手たちを贅沢に揃えた、最高の舞台でした。さらに、後述しますが、このフォルクスオーパ版の「チャールダッシュ」の演出ほど、このオペレッタの魅力を存分に引き出した演出もなかったのです。

でも、当時の私は、それほどオペレッタに詳しくもありませんでした。ただただその舞台の華やかさと、愁いを帯びた音楽の魅力、そしてなによりも、フェリ・バッチというキャラクターと、それを演じた歌役者の姿の美しさ、ダンスのすごさ、演技の素晴らしさに強烈に惹かれた・・・という記憶しか残っていません。あまりの印象の強さに、このフェリ・バッチに似たキャラクターを登場させた、ミュージカルの台本を書きかけたことがあったのを覚えています。もちろん、うまく書けずにぽしゃってしまいましたけど。

その後、普通にクラシックの合唱をやり、オペラを少しかじる程度の日々を過ごしていましたから、この魅力的なオペレッタのことは、すっかり頭から消えていました。普通にクラシックに触れている程度だと、「こうもり」以外のオペレッタに触れる機会なんか、そうそうありませんからね。

再びの出会いは、やっぱり、「ガレリア座」です。この団体の主宰が、この82年頃のフォルクスオーパの来日公演を見て、人生をオペレッタに捧げようと決意してしまった人物だったから大変。彼は、高校の音楽部の卒業生と語らって、このフォルクスオーパの「チャールダッシュ」の一場面をコピーする、という企画をやったこともある。この公演は、ガレリア座の初期の、まさにバイブルのような位置にあったんです。

当然のように、この公演の映像は、当時のガレリア座の団員の中でビデオで出回っており、それぞれの団員が、それぞれの配役に強烈に思い入れておりました。ソプラノのOさんはシルヴァに、うちの女房はスタージに、テノールのKくんはボニーに、そして、私はフェリ・バッチに。なぜか主役のエドウィンは、「あほたれだから」と、誰もやりたがらない。「いつか、チャールダッシュをやりたいね」というのは、当時のガレリア座のみんなが、よるとさわると口にしていたセリフ。そして今でも、頭のすみで、「いつかやりたい」演目の筆頭に上がっているオペレッタなのです。

このオペレッタの魅力は、なんといっても、カールマンの音楽の魅力。全編どこを切り取っても、本当に素晴らしい曲、楽しい曲ばかり。一番有名な、「踊りたい」のワルツ以外にも、「ヨイ、ママン」、シルヴァの登場の歌、ボニーと女の子たちの「女がいなけりゃ」など、美しくて、楽しくて、そのくせちょっぴり愁いを帯びた、魅力的な曲がずらりと並んでいます。

そして、フォルクスオーパの演出では、シャンドール・ネメットという最高の歌役者を得て、フェリ・バッチという中年貴族の脇役に強烈な存在感を与えました。若者たちの恋模様を、この中年貴族が「見守る」という構図を強調することによって、年代を超えた真実、過ぎゆく時間の残酷さを際立たせ、さらには、滅び行く「貴族」という人種への鎮魂歌、という、オペレッタの主題をさらに深く掘り下げる。楽しく明るいオペレッタの終幕、結ばれた若者たちが楽しげにワルツを踊る、その傍らで、あくまで毅然と、ぴんと背筋を伸ばしたフェリ・バッチが、一人、パートナーもなくワルツを踊るのです。その姿の凛々しさと、そこに漂う憂愁。いつ見ても、目頭が熱くなる、素晴らしいシーンだと思います。

この、若者たちの恋模様を見守る中年貴族、という構図は、私が今まで書いたオペレッタの台本の全てに共通する構図です。何を書いてもここから逃れられない。口の悪い団員(筆頭はうちの女房)なんかは、「どれもこれもおんなじような話だなぁ」と言いますが、結局、最初に刷り込まれたオペレッタの印象が強すぎたんですね。「永遠のテーマなんだ!」と反論しつつ、チャールダッシュの魔力に今更ながら驚きます。

さて、この公演でフェリ・バッチを演じたシャンドール・ネメットという方、歌って踊れて演技も素晴らしい、まさに歌役者の鑑。私がこの日記のタイトルにしている「Singspieler」という単語をつづるとき、真っ先に頭に浮かぶのが、このネメットさんです。82年の来日公演で、「ヨイ・ママン」を、アンコールも含めて4回もやって、首根っこにシルヴァをしがみつかせて、そのシルヴァごと、竹とんぼのようにすごい速さでぐるぐる回転してみせた。その後でも、息一つ乱さない。これもすごいんですが、全編に渡って、とにかく立ち姿が美しく、凛とした初老の貴族、という役柄にまさにぴったり。99年に再来日されて、82年のときにはスタージをやったエリザベートカーレスさんを、同じようにぐるぐるぶん回して、やっぱり息一つ乱さない。あれからもう17年も経っているのに、毅然とした立ち姿もそのまま。きっと何か飲むか、食べるかしているんだ。生き血とか、ヤモリの黒焼きとこうもりの干物とか、何か・・・

おかげで、「チャールダッシュ」と聞くと、今でもなんとなく血が騒ぎます。メラニーホリデーがシルヴァをやった舞台も見たし、ブタペストのオペレッタ劇場の舞台も見ました。でもやっぱり、このフォルクスオーパ版を越える舞台にはお目にかかっていません。どこかで、ネメットさんのフェリ・バッチを求めてしまうんですね。99年の再来日の時は本当に嬉しかった。いくら鍛錬しても、ネメットさんのレベルには程遠いのは当たり前だけど、せめて少しでも、あの風情を出すことが出来たら・・・「歌役者」としての私の、永遠の目標です。