指揮者というお仕事

週末は大田区民オペラの練習やら、上京してきた女房の実家との会食やら、ばたばたと過ごしました。今度、山口俊彦先生と上江法明先生のデュオ・リサイタルのステマネを仰せつかったので、その打ち合わせもありました。バスバリトン2人のデュオ・リサイタルなんて、そうそう聞けるものじゃないですから、舞台裏とは言え、とっても楽しみです。

さて、今日のネタは、昨夜放送されていた芸術劇場の、「グラインドボーン音楽祭」の「こうもり」を見ていて思ったこと。

舞台中央に設置された巨大な円筒形の「檻」のようなセットを回り舞台で回転させながらの演出。これが本当におしゃれ。ある意味シンプルで、原典に非常に忠実な作りながら、この「檻」のセットが、貴族たちというきれいな昆虫たちを閉じ込めている虫かごのように見えてくる。所詮は虫かごの中のどたばた騒ぎさ、といった感じのクールさ。ヨーロッパの歌劇場のやるオペレッタって、大人の洒落っ気が詰まっていて、かっこいいなぁ、といつも思います。ダイジェスト版じゃなくて、早く全曲版が見たいなぁ。

でも、ここで取り上げるのは別のこと。この演奏、指揮者はウラディーミル・ユロウスキ、オケはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、という布陣だったのですが、このユロウスキさんが怪しい。指揮者じゃなくて役者かバリトン歌手じゃないか、と思うようなかっこいいルックスで、指揮も実に華麗なんですが、びっくりしたのが、第三幕の冒頭。いきなり腕組みしているんです。指揮しない。ただ、オケの方を楽しそうに見つめて、腕組みしている。所々で、かっと視線を飛ばす。あるいは、一瞬楽器を指差す。それだけ。ずっと指揮しないんです。最後の最後で、指揮棒をゆらっと左右に流した。それだけ。それで、三幕冒頭の曲がおわっちゃった。

仕事しろよって感じなんですけど、流れ出てくる音楽は実に流麗で、テンポ感があって本当に楽しい音楽なんです。そういう意味では、見事な仕事振り。刀を使わないで人を斬る、じゃないけど、これはすごいなぁ、と思いました。

私なんか、音楽指揮は全然素人なんですが、ガレリア座で演出をしていた時に、音楽監督がいなくて、やむなく自分で指揮の真似事をしたことがあります。一生懸命音楽を伝えようとするんだけど、そうやって「振れば振るほど」、一人相撲というか、みんなの音楽からどんどん乖離していくような、全然伝わっていかないもどかしさを感じました。指揮ってほんとに難しい。自分は音を出していないんですからね。人が出す音を、自分の思うような音にコントロールするって、そりゃ難しいですよ。

人をコントロールする、というと言い方が悪いのですが、自分の思うように人に動いてもらうことっていうのは、本当に難しいことです。指揮というのは、そういう能力が最大限に問われる、そういう能力の有無が明確に見えてしまう、結構怖い職業だなぁ、と思います。それだけじゃない、そうやって人を動かした結果として出てくる音楽の質、つまり、「自分の思うように出てきた音」がどれだけ素晴らしいものか、ということまで問われるわけですから、これは大変。

いかに音楽性が高くても、自分の中に持っている音楽が素晴らしくても、それを演奏者に伝えることができなければ、何の音も出てこない。演奏者に伝えることができたとしても、自分の中にある音楽が素晴らしくなければ、聴衆を感動させることができない。二重に能力を問われるわけです。演奏者へのコミュニケーション能力と、自身の音楽性と。

かつて、今をときめく大野和士先生が、ガレリア座を指導してくださったことがあり、そのコミュニケーション能力の高さに驚愕したことがあります。演奏者の意識を根本から変革するような、自然に音楽がほとばしってくるようなそういう指導。それでいて、押し付けがましくなく、どこまでも自然で、どこまでも、音楽に対する愛にあふれている。大野さんの音楽がさあっと団員に伝わっていく、これだけの伝達能力があれば、実際に指揮棒を振るかどうか、なんてのは、もうどうでも良くなってくるのかもしれません。

そういう意味で、「指揮しないのに伝えることができる」というのは、指揮者のコミュニケーション能力・伝達能力の到達する一つの究極の形なんでしょうね。カラヤンの晩年の指揮の映像とか、朝比奈隆の映像とかを見ても、「全然振ってないじゃん」、という感じ。でも時々ふっと顔を上げて、チェロの方をみて頷いたりする。それだけで、団員との間のコミュニケーションが成り立ってしまう、その伝達力の高さ、オーラの強さ。

もちろん、これを、コミュニケーション能力の低い人が真似してもダメなんでしょうね。団員との間の信頼関係があり、「ここはこうする」という決め事がきちんと共有できていて、初めてできる芸当なんだろうな。この日記でも度々触れた、合唱指揮者の故 辻正行先生の指揮も、指揮棒を越えてしまった、団員との密なコミュニケーションを感じる、不思議な指揮だったのを覚えています。変な話、正行先生が指揮台に立って、にこにこしているだけで、いい音が出るんですよねぇ。何なんだろう。

この議論、深めていくと、コミュニケーション全般の話にもつながる気がします。ここでまとめる気はないですけど、指揮者というお仕事、ほんとに奥が深いです。