夢を実現するための努力

街中でハナミズキが満開。この花、白や紅に見えるところは本当は花じゃなくて、葉の変形したものなんですよね。真中の小さな球みたいに見えるのが、花なんだそうです。我が家の庭にも、ハナミズキらしき木があるのですが、どうもこれがハナミズキらしくない。世間のハナミズキが盛りを終えたころに、やっと白い花をつける。花の形もちょっと地味。どうも、ハナミズキじゃなくて、「ヤマボウシ」という、日本にもともとあったハナミズキの仲間なんじゃないかな、と思うのですが、真相はよくわかりません。

さて、今日は、昨夜、帰宅途中にちょっと耳にした会話で、オヤジ臭く腹立ったお話。

ホームで電車待ちをしていた大学生カップルの会話。
男「税理士の試験受けようかなぁ」
女「何それ?難しいんじゃないの?」
男「よく分かんない。税金計算する仕事。親がやってるから」
女「将来のこととか、考えるよねぇ」
男「考えるよぉ。何やりたいの?」
女「映画とかすごく好きで、配給会社とかに興味あるんだけどさ、英語喋れないし・・・」

ここまで聞いて、ぶん殴ってやろうか、と思いました。ああ、なんてオヤジな反応だ。
親がやってるから、という理由で税理士の試験を受けようか、とぼんやり思っている男にも多少腹は立つのですが、親の家業を継ごうかどうしようか、と悩む姿勢はそれなりに理解できます。腹立ったのは女のセリフ。映画が好き、というミーハーな反応はまぁ置いておくとして、配給会社に興味がある、というのもよしとしましょう。「英語ができない」というのは何だ。言い訳のつもりか?できなきゃ勉強すりゃいいじゃないか。勉強も努力もしないうちから、「英語ができないから無理」というのは何なんだ。
大学生で「英語が喋れない」なんてのは全然致命的じゃないですよね。喋れなかったら、勉強すりゃいいんです。3ヶ月でも、ロスの学校あたりに短期留学とかして、ハリウッドの映画を見まくれば、一石二鳥じゃないですか。「配給会社に入りたい」という夢がある。その夢を実現させるためには、何をやらなければならないか。タスクをリスト化して、一つ一つ消化していく。そうやって一つ一つの課題を達成していくにつれて、夢自体が変わってくるかもしれない。でも、タスクを達成した、という結果は、決してムダにはならないはずです・・・
なんて、偉そうに書いてるけど、考えてみりゃ、自分が大学の時だってそんな風だったなぁ。映画に興味があるっていうのも同じだった。だったら、自分の好きな職業につくために、どんな努力をしなきゃならないか、というのも、そんなにはっきり自覚したこともない。ぼんやり過ごして、ぼんやり就職活動して、ぼんやり就職しちゃった。そうして今の自分がここにいます。そんな自分に、彼らを責める資格なんてないよねぇ。
でも、世の中は確実に、私が学生だったころとは変わっている。そこが最近の学生さんの不幸なところですね。ぼんやりと「自分のやりたいこと」を探していても、いや、それが見つからなくても、なんとなく会社人生を始めることができた。でも、今では、非常に明確な目的意識を持って、きちんと自分の中のスキルを積み上げていく作業を、学生のうちからやっておかないと、会社が求める人材として受け入れられない。
なんか、時事問題っぽくなってきたけど、この日記のテーマであるパフォーマンスアートの話に無理やりつなげてみると、一つの舞台を作り上げる、という「夢」を実現するために、必要な基礎作業をおろそかにすると、結局「夢」なんて実現しない・・・ということが言えると思います。その「夢」を実現するためには、必要なタスクが一杯ある。それを一つ一つきちんとリストアップして、一つ一つつぶしていかないとダメ。その作業にはそれなりの時間がかかる。タスクの中には、自分の能力を今よりも高める、というタスクもあります。そういうタスクを消化していくことをしないで、「舞台は楽しそうだけど、自分には無理だ」と諦めてしまうのも情けない。また、そういう地道な作業をすっ飛ばして、「舞台は楽しい!」だけでも、いい舞台はできません。自分のできること、足りないことを冷静に見極め、足りないことを埋めていく作業。それをきちんとしないままに、「できない」と諦めるのも馬鹿馬鹿しい。「やっちゃえ!」とやってしまっても、惨めな舞台ができるだけ。舞台というのはシビアなものです。仕事よりもっとシビアかもしれません。「夢」の舞台を作り上げるには、「夢」だけでは勝負できない。自分を見極める判断力、自分を高める努力。それを積み重ねていけるほどに、自分にとって価値ある「夢」なのか。それを常に問いつづけながらの、とても厳しい作業。それって、舞台も仕事も、一緒じゃないのかな。