忘れられない舞台 ステマネというお仕事 番外編

天候が回復し、街の桜もちらほらと開きはじめましたね。今晩はカミサンが出る新宿オペレッタ劇場6の1日目なので、天気が良くなってよかった。私は明日、見るつもりでいます。今晩は娘のお守です。

さて、今日は、昨日まで書いてきた「ステマネ」というお仕事の中で、忘れられない舞台のことを書きたいと思います。

  • かつしかシンフォニーヒルズの「王子メトゥザレム」

ガレリア座で、初めて「舞台監督」という形で、裏方をやった舞台です。オペレッタなので、「ステマネ」という仕事よりもさらに細かな仕事だったのですが、初めての体験で、一杯勉強させてもらいました。
なので、トラブルも当然のように沢山ありました(^_^;)。色んな意味で、忘れられない舞台です。

(1)泉が・・・

お話の中で、涸れた泉から水が湧き出る、という演出があったのですが、当然、ホンモノの水を流すわけにはいきません。
なので、ドライアイズの煙を噴出させる、という仕掛けを作ったのですが、これがタイミングよく出てこない。
仕方ないので、役者さんたちは、「出たつもり」になって演技を続ける。すると、突然ぶおっと煙が出たりする。あれは苦労しました。
インカムの会話が会場に漏れてしまった、というのも、この舞台でした。照明の方が、「(煙が)出てない、出てないよ!」と思わず声を上げてしまったのが、会場に漏れちゃったんですね。恥ずかしいったらありゃしない。

(2)リノリウムが・・・

最大のトラブルは、リノリウムです。舞台上に、滑り止めのために貼る、ビニールのような敷物のことです。
このリノリウムの上に、赤や黄色のパンチカーペットを貼ったのですが、この時に、粘着力の弱いビニールテープを使わないといけないところを、間違えて、普通の透明な接着テープを使ってしまったのです。
大急ぎで場面転換するときに、このテープを無理やりビリビリはがしたので、テープののりがリノリウムにべったりついてしまいました。
リノリウムは会場の備品ですから、当然、このノリを拭き取ってお返ししないといけません。
終演後、団員全員で、アルコールで一生懸命擦り取りました。会場の方がやさしい方だったので、そんなに怒られませんでしたけど、普通の会場だったら弁償ものです。ほんとに申し訳なかったです。

  • 大久保混声の「わたりどり」

大久保混声合唱団の演奏会のステマネは何度かやらせていただいているのですが、初めてお手伝いしたときだったと思います。下手側の袖から、楽屋に抜ける扉が開きっぱなしになっていたんですね。ちょっと気になっていたのですが、楽屋で大騒ぎする人もいないだろうから、いいかな、と思って、放ってありました。出入りの時にも楽でしたし。
感動的な演奏会が終わり、アンコールに、「わたりどり」が演奏されました。辻正行先生の素晴らしい指揮のもと、美しいハーモニーに、思わず涙ぐみそうになったその時でした。楽屋の入り口にあった電話が、トゥルルルル!
スタッフの方が慌てて飛んでいって、受話器を取ってくださいましたが、会場にはしっかり聞こえてしまったようで、ほんとにこれも申し訳なかったです。すばらしい演奏だっただけに・・・あうう。

大久保混声合唱団が、2003年に開催した日韓合同コンサートを、ステージマネージャとして手伝わせていただきました。本当に感動的かつ楽しい舞台だったのですが、演奏時間がとにかく長くて、撤収時間がどんどんなくなっていく。やばいなぁ、と思って、事前に事務所に行って、「すみません、2・30分押してしまうかも・・・」と断りは入れておきましたが、演奏が全部終了したときに、残っていた時間は10分だけ!退場してきた団員さんに、「あと10分で完全撤収してください!」と声をかけ、全員がダッシュで片付けに入りました。おかげで、団員さんの楽屋撤収、舞台のバラシはあっという間に終了し、利用時間を5分程度超過しただけで、完全撤収終了!「やればできるじゃん!」とみんなで喜びあっていたら・・・会場の方が、「ちょっと来てください」
「写真撮影の業者の方が撤収してないし、ロビーの花束立てがそのままなので、超過料金いただきます」ですって。団員の撤収のことばっかり考えてて、業者さんのことは業者さんにすっかりお任せにしていたのです。重い機材とかがあるから、10分で撤収できるわけがないんですね。甘かった・・・
合唱団の方々にも、会場の方々にも、ご迷惑をおかけしてしまいました。これまた申し訳ない限りです・・・

  • その心の響きⅡ(石橋メモリアルホール)

この演奏会は、たぶん生涯忘れられない演奏会になると思います。

石橋メモリアルホールというのは、ステマネ泣かせのホールです。音響といい、舞台の落ち着いた雰囲気といい、さすがに歴史のある素晴らしいホールなのですが・・・
前にも書いたとおり、インカムがないので、ダイヤル式電話で連絡を取らないといけない。それも大変なのですが、このホールには舞台袖がないのです。舞台を出たら、即、すごく急勾配の階段があって、そこからそのまま下の階の楽屋に通じている。都内には袖の狭い舞台はたくさんありますが、こんなホールは初めて。
その階段の踊り場にあたるスペースが、私の城になりました。椅子を一つ置くともう一杯。1平米もありますかね。なので、椅子は置かずに立ちっぱなし。
舞台もさほど広くないので、団員さんが入ってしまうと、袖から舞台に出て行く扉と、ひな壇の端のソプラノの辺りとの間がすごく狭くて、指揮者の辻秀幸先生のお腹がつかえてしまって入れない・・・
本当はステマネが舞台上に出るのは極力控えた方がいいのですが、仕方がないので、扉を全開にして、舞台上でその扉を私が押さえ、指揮者・ピアニストを通す、という形にしました。このおかげで、後でえらい目に会うのですが・・・

この演奏会は、リハーサルの時点から異様な空気に包まれていました。本番の5日前に、「絶対にこの演奏会は振る!」と、最後の気力を振り絞って練習に励まれていた辻正行先生がお亡くなりになり、その遺影をロビーに飾っての、まさに追悼演奏会になってしまったのです。指揮者は、正行先生のご子息の、辻秀幸先生と、志朗先生。開場し、お客様が入り始め、舞台袖の扉の小窓から、会場の様子を見ていると、ご年配のおばさま方が、演奏会が始まる前からもうハンカチを目に当てている。「これはすごい演奏会になるぞ」と思いました。

演奏は、辻先生のご子息たちに、正行先生の魂が乗り移ったかのような、それでいて、ご子息方の持ち味もしっかりと表現された、本当に素晴らしいものでした。袖で聴きながら、何度も涙ぐみましたけれど、小窓から見る会場の様子は、もうお葬式のような感じです。一人二人どころではない数の聴衆の方々が、正行先生の遺影を膝に置かれていました。

演奏が終了して、万雷の拍手。聴衆の全てが、万感の思いで、この親子の共演の舞台に拍手を送り、涙しています。そして、アンコールは、「水のいのち」から、「雨」です。正行先生が生涯演奏し続けた、高田三郎先生の最高傑作。袖で見ていても、「この雰囲気の中で、あの曲をやったら大変なことになるんじゃないか・・・」と思ったのですが・・・
前奏が始まった瞬間、聴衆全体が、波立ったように見えました。そうとしか表現できないなぁ・・・「あぁ」とも「おぉ」ともつかない、声にならないため息が、会場全体を揺らしたようでした。聴衆の多くが、正行先生のご指導で、この曲を歌った経験のある方々なのでしょう。その思い出が、一気に聴衆の脳裏に浮かび上がってきた、そのため息なのでしょう。
演奏が終わって、拍手が起こり、そして止みません。指揮された秀幸先生、ピアノを弾かれた志朗先生のお二人を、何度も舞台に呼び戻しました。最後は、急勾配の階段を降りきって、楽屋に向かおうとされているお二人を、「お願いですから、もう一度だけ出てください」と捕まえに行って、舞台に出しました。それでも拍手は止みません。もう仕方がないので、団員さんに、「退場してください」と指示を出しました。
団員が退場していく最中も、拍手はやみません。普通の演奏会なら、団員が退場を始めると、聴衆は「さぁ終演だ」と拍手をやめて立ち上がるもの。でもこの演奏会では、聴衆全員が、この演奏会をやりとげた合唱団員全員に、惜しみない拍手が送っているのです。
この感動の嵐の中で、私は途方に暮れていました。団員が退場しやすいように、私は舞台上で扉を押さえています。演奏者でも何でもない裏方の人間としては、この拍手の中で舞台上にいるのはただでさえいたたまれません。でも拍手は止みません。ベースの最後の方が退場する瞬間、拍手はさらに大きくなり、やっと止みました。そのとき、舞台上にいたのは、私一人でした。

慌てて扉を閉めました。このときほど、透明人間に憧れたときはありません。


・・・ステージマネージャの醍醐味は、色々な合唱団の、色々な演奏に触れることができること。その団員の皆さんの、音楽に対する情熱に触れることができること。そして何より、舞台という大きなお祭りの傍らに立っていられること、それが最高の喜びです。三谷幸喜さん風に言えば、「人生で起こることは全て、舞台裏でも起こる」のです。