チップっていうのは

米国に来て一番悩むのは、チップ、という制度。レストランのチップとかは、大体感覚が分かる(税金がかかる前の金額の15〜20%を上乗せすればいい)のでいいのだけど、それ以外の場面でも、チップをどうしようか、結構悩みます。タクシーを降りる時、駐車場で預けた車を持ってきてもらった時・・・

マンハッタンの大多数の駐車場では、車のキーを挿したまま、入り口に車を停めると、お兄さんがやってきて、「何時くらいまで停めるの?」と聞いてきます。x時まで、と答えると、そのまま預けた車をお兄ちゃんが運転して、駐車場の中にすうっと消えていく。車の受け渡しは全て入り口で済むので、面倒な車庫入れの手間など全く気にする必要なし。ニュージャージではそうはいきませんが。

この車の受け渡しを担当しているお兄さん、というのが、マンハッタンにおける雇用の受け皿の一つになっているんだよ、という話を聞いたことがある。確かに、別に無人にしてしまってもいいし、実際無人の駐車場もあるんですが、大抵の駐車場に受け渡し担当のお兄さんがいる。ほとんどの場合、このお兄さんたちはスペイン語を喋っている。そういう移民労働者の雇用の受け皿になっているんだね。

それ以外にも、いわゆるブルーワーカーと言われる人たちの賃金は、国が決めている最低賃金ギリギリのことが多いそうです。それは日本でも事情は一緒なんだけど、日本と違うのが、チップ、という制度。ネットなどを見ると、このチップ、という制度は、時給制ではカバーできない「成果報酬」的な要素を補っていて、特にレストランなどでは、ウェイターさんたちの重要な収入源になっているのだそうな。

実際、ネット上でも同様の議論があったのだけど、日本でも、例えば賃金の安さのために人材が集まらなくて悩んでいる福祉の分野とかに、チップ制、というのを制度として導入するのはどうだ、なんていう議論があったりする。生活水準の向上とサービス水準の向上が共に実現できるじゃないか、と。でもこのアイデアの一番の障害は、日本の社会が、米国の社会が持っている「施し」の文化を持っていない、という文化的・精神的な問題のような気がするけどね。

日本においては、感謝の気持ちを金銭で表す、ということに対するアレルギー反応が非常に強い気がする。でも、考えてみれば、江戸時代とかはそういう文化が一般的で、池波正太郎の時代劇の主人公たちは、自分のために働いてくれる人たちに「心づけをたっぷりやる」のが常。(この「心づけ」っていう言葉、好きなんだけど、もう死語に近いよなぁ)それがいつから、「感謝の気持ちを金銭で示す」ことが、賄賂とか、虚礼、とか、あるいはもっと否定的に、「オレは乞食じゃない!」という拒否反応につながるようになってしまったのか。

それって、やっぱり戦後日本で確立した精神的社会主義の裏返しのような気がするんだね。世界に例を見ない平等社会、一億総中流社会を実現してしまうと、「心づけ」という、豊かなものから貧しいものへの施し=社会的格差を前提とした習慣、というのは、その平等性を否定することにつながる。オレはお前よりもたくさん持っているぞ、お前よりも豊かだぞ、ということを相手に対して誇示しているような印象を与えてしまう。あるいは、何かしらの見返りを期待したものとして勘ぐられてしまう。

米国が、社会的平等を標榜しながら世界でも有数の格差社会であることは事実なんだけど、その格差を前提とした、「豊かなものから貧しいものへの施し」は、豊かなものの持つ一種の義務として定着していると思います。それは、大富豪と言われる方々の社会奉仕活動から、日常的なチップという文化にまで、社会の隅々に浸透している。

農地改革・財閥解体に始まって、そういう習慣を徹底的に駆逐してきた戦後日本の超平等社会において、その平等性が崩れ、格差社会が現実化してきた今、かつての「心づけ」の文化というのも見直す必要が出てきているのかもしれません。今は、それを渡す側にも受け取る側にも、プライドという大きな精神的な壁があって、結局は、所得税累進課税や馬鹿高い相続税、という公的仕組みに頼ってしまっている。でもねぇ、そうやって国に吸い上げられた税金が有効に使われているとは思えないのだから、直接、サービスしてくれた人に対して感謝の気持ちとして差し上げた方が、よっぽど役に立つ気はするよねぇ。

もちろん、一方的な奉仕や援助、というものの弊害もあって、アフリカの経済困窮を援助で救おうとしたら、援助=見返りを求めない一方的な富の分配が、逆に労働への意欲を殺ぐ結果になって、利権政治と官僚の腐敗を生み、逆に、アフリカは援助でさらに荒廃した、なんて話もある。そんな大きな話じゃなくて、日常生活でも、米国のチップ、というのは実に謎の多い制度です。最近聞いてびっくりしたのだけど、レストランとかだけじゃなく、郵便配達とかゴミ収集の人たち、アパートのベルマンなどに払うチップ、というのもあるんだって。これはクリスマスに払われるものらしく、ベルマンを置いていることが多いマンハッタンのアパートでは、クリスマス近くになると、「あなたのアパートをいつも守ってくれているセキュリティの人はこの人たちです」とかいってリストが各家庭に配られたりするらしい。私の住んでいるニュージャージあたりの一軒家なんかでは、家の外に出すゴミ箱のふたの裏とか、郵便受けに、何ドルかの紙幣を貼り付けておいたりするそうな。それをやらないと、ゴミ箱を道路に放り投げられたり、郵便物が突然届かなくなったりするぞ、と脅かされたのだけど、ほんとかなぁ。