日本の農業と流通のすごさ

こちらに来て実感するのは、日本の農業と流通の素晴らしさ。もっと端的に言えば、新鮮な野菜が近所のスーパーで簡単に手に入る、というのがどれほど素晴らしいことか、ということ。

この日記でもよく引き合いに出す、近所にあるA&Pマートとか、Pathmartの野菜売り場に行くと、新鮮な葉野菜を手に入れることがすごく難しいことを実感します。ホウレンソウやレタスといった葉野菜のほとんどは、葉が変色したりしなびたりしているものしかなく、売り場の冷蔵コーナーは、大抵、一定時間ごとに天井から霧を吹き出し、野菜を新鮮に見せるように工夫している。野菜のクオリティが高いミツワでも、日本品質の野菜は値段が全然違う。レタスなんか、表面の5枚くらいの葉は確実に使えないし、葉っぱがしっかりしたホウレンソウを見たことがない。大抵3分の1くらいの葉はしなびているか、黒く変色してしまっています。

不思議なことに、若い葉っぱを早めに摘み取ってビニール袋やタッパーに詰めた葉野菜の詰め合わせみたいなものがよく売っていて、これは意外と新鮮。それでも摘んだ葉だから、そんなに日保ちするわけじゃない。新鮮な野菜を手に入れること、というのが、こちらの生活の一つの課題だったりします。

そう考えると、日本のスーパーに並んでいる野菜たちのクオリティの高さ、というのは一種の奇跡だと思う。野菜の大きさから色合いまで見事に規格化する生産技術、その産地から鮮度を失わずに運搬する冷蔵技術、運搬のネットワーク、在庫を残さず売り切る販売管理、全てが完ぺきに調和して消費者のニーズを満たすシステムの完成度の高さ。

海外から日本に来る人が一様に感激するのは、コンビニの商品棚にならんだ生鮮食品の品ぞろえだ、という話を聞いたことがありますが、さもありなん、と思います。こちらで購入する牛乳とか、美味しくないうえに日保ちしないんだよね。気をつけないと、ちょっとヨーグルトの味の混じった牛乳を思わずぐびぐび飲んでしまってあわてる、なんてことになりかねません。生卵も食べちゃだめ、というのもよく言われること。ちゃんと火を通さないとお腹を壊す。生卵ご飯、なんてのが普通に食べられる、というのは、日本だけの幸せなんだよね。

そんなわけで、なかなか新鮮な野菜が手に入らないなぁ、と思っていて、先日、車の窓から見かけた近所の小さなスーパーに行ってみたら、ここが結構新鮮な野菜がそろっている。Cliffside ParkからFort Leeに向かって、Anderson Avenueを進んでいく途中にある、CAFASSO’S FAIRWAY MKT、というイタリア系の食品スーパーなんだけど、ニュージャージの地元農家から直接仕入れているのか、並んでいる野菜がどれも結構新鮮。狭い店内は地元のお客様でとても賑わっていて、商品の回転もいい感じ。葉っぱの形はごつごつして、土もついていてワイルドだけど、しなびたり変色したりしていないホウレンソウを初めて購入することができて、結構感激。

そう思うと、見事に形と大きさのそろった野菜がパッキングされ、隙間なく一列に並んでいる日本の野菜売り場っていうのは、どこかしら工業製品の陳列棚みたいに見えなくもないよね。野菜工場、なんていう言葉が最近流行りみたいですけど、家庭菜園を持っている人が、「野菜っていうのは普通に育てれば、形も歪むし、虫も付くので、あれだけ綺麗に整っている野菜を作るには、絶対なにか無理をしている」と主張していたのを思い出します。東京という街の非人間的な雰囲気と、超画一化された生産システムとそのプロダクトっていうのは、どこかしらシンクロする感覚があるよね。