知り合いがTVに出たぞ

TVというメディアについて、この日記で、最近結構批判的なことを書いているのだけど、TVというメディアの影響力というのもやっぱり無視できない。だからTVというメディアは公平中立であるべきで、なんて固い話は今日はなしにして、今日は、知り合いがTVに出た話。

知り合いがTVに出た、というのは嬉しいもので、「オレの知ってる人がTVに出たんだよ」と、なんとなく意味もなく周囲に自慢したくなる。私の兄が、自分が書いた本を題材にしたTV番組に出演したことがあって、先週集まった大学の同級生で話している時にも、「オレの兄貴がTVに出たんだよな」という話をしました。

「へぇ、なんていう番組?」
「『その時歴史は動いた』に出たんだよ」
「うちの子絶対見てるわ。歴史番組好きだもん」
「じゃあ、『あの人、ママの友達のお兄さんなんだよ』って言っといてよ」
「……『だから何?』って言われそうだよね」

…おっしゃるとおりで、「オレの知り合い(親戚、友人その他)、TVに出たことあるんだぜ」というのは、考えてみれば語り手にとっては何のステータスにもならないんだよね。「だから何?」ということに収まって、おしまい。有名人の知り合い、というのは、その有名人の知られざるエピソードを知っている、という意味では多少なり価値があるのかもしれないけど、その人本人の価値でもなんでもない。「オレ、こないだTVに出てたxxさんの従兄弟の息子の結婚相手の兄弟の息子なんだよ」なんて、ネタにもならんがな。

私の中学高校時代からの友人に、沖大幹さん、という治水学者がいます。環境問題と合わせて水問題が取り上げられることの多い昨今、時々、教育番組にご出演されているようで、先日、何気なくつけたTVで、川に関するコメンテーターとして出演されていました。「あ、彼、オレの友達だったんだよ」と、意味もなく嬉しくなる。

ガレリア座の看板テノールだったTくんが、昔フジテレビでやっていた「SideB」という5分間番組で、「昼の会社員の顔と、Offの時間の顔が全然違うサラリーマンの一人」ということで取り上げられたことがありました。これもガレリア座の中では随分話題になった。先日、彼とその話をする機会があって、色々エピソードを聞く。「職場の映像を取りにTVクルーが来たんだけどさ。職場の同僚とかが、何気なくオレの後ろに立ってたりするんだよね」…知り合いがTVに映る、というのも面白いけど、その知り合いと一緒の「仲間」ということで、ちらっとでもTVに映っちゃう、というのもワクワク楽しいよね。

少し前、うちの娘の行っていた幼稚園が、TV東京の朝の5分間番組の「Mr. Friendly」という番組に出ることになって、その日は朝からDVDを録画予約。幼稚園のお友達がわいわい遊んだり、歌に合わせて踊ったりする中に、娘は2度ほどちらり、と映ったのだけど、それだけでパパもママも大騒ぎしてチェックしておりました。

自分の知り合いや身内が、TVに出ている、というのは意味もなく嬉しいもの。自分自身にはなんら関係のないことであっても、自分の知っている人がTVで取り上げられることで、自分自身が社会に注目されているような、いわゆる「認知欲求」が満たされた気になる、一種の仮託効果のような意識なのかもしれませんけど。でも、実際、TVというメディアの露出度の大きさ、というのは相当の影響力で、兄の本も「その時歴史は動いた」出演後、販売部数が急増したそうな。TV侮りがたし。

…と、なんでこんなことをつらつら書いているか、といえば、先週、いつものように夫婦で見ていた「タモリ倶楽部」に、ガレリア座で以前1stヴァイオリンを弾いていたHさんが出演していたから。事前に誰も聞かされていなくて、ガレリア座の誰もがびっくりしてしまったのだけど、TVで久しぶりに拝見したHさんはとってもお元気そうで、タモリ相手に一歩も退かずに、堂々とヴァイオリンの「効果音」芸をかましまくっておりました。最近はご多忙のようで、ガレリア座にもご無沙汰なんですが、たまには遊びに来てくださいねー。

・・・うまくいったので、これからこれでやってみます!