幸せってなんだっけ?

バブルの頃に、なんだかカンチガイしてしまった日本人たちは、海外の土地だの高い絵だの買いあさっただけじゃなくって、やけに付け焼刃な「リゾート系アミューズメント」を日本に持ち込みましたよね。ヨット・クルーズだの、クリスマス・ディナーだの、無闇に豪華な海外旅行だの。そういう「ばぶりー」なアミューズメントの中に、「豪華客船での東京湾クルーズ」というのがあった気がする。

先日、会社の接待で、海外から来たお客様を接待するのに、初めて乗りました、東京湾ナイトクルーズ。船上レストランでフルコースのディナーをいただいて、夜景を楽しんで、合計1万円。ちょっと贅沢だけど、手の届かない遊びじゃないよね。これって、バブルの頃は多分もっと高くて、5万円くらい平気でしたような気がするなぁ。今、5万円、って言われたら考えちゃうよねぇ。ううむ。

船上は、IT企業の合コンノリの社内パーティと、普通の企業のおじさんたち中心の社内パーティ、デート中の若いカップル、それに我々、というのが多数。面白かったのは、そういう船内の所々に、なんだか怪しげな、中年おじさん+お水系のお姉さん、というカップルが目に付くところ。この中年おじさん、というのも、なんだかちょいワル系で、ちょっと肩が触れるとぶっ飛ばされそうなオーラを漂わせている。そこだけ、バブルの頃の残滓が残っているような感じ。ちょいこわ。

一緒に食事した相手は、オマーンの人たち。お仕事の話もしましたが、こういう接待の場では、仕事と関係のない話が中心になります。オマーン産油国ですし、日本に来るような人はとってもリッチ。「帰りはバンコクに寄って遊んでくるんだ」そうです。バンコクってのは、中近東の国々とアジアの間のハブになっているんだね。以前インドに行った時にも、バンコクでトランジットしたなぁ。
 
オマーンじゃ、ガソリンが安くてね。水より安い。僕なんか、日本の車を3台持ってるよ」
「すごいねぇ、オレより全然金持ちじゃん」
「でも、東京は電車とかが発達してるし、気候もいいから、車なくてもいいじゃん。こっちは夏場の日中は48度だよ。電車も地下鉄もないから、車がないととてもじゃないけど、会社にも行けないんだよ」
 
「日本車なんで、カーナビが付いてるんだけど、オマーンの地図なんか分からないから、結局使えないんだ」と笑ってました。なるほどねぇ。
 
オマーンの人って、日本人に対して、どういう印象持ってる?」と聞くと、しばし考えて、
「とにかく時間を無駄にしない人たちって、感じだね。会社に来ると、無駄話なんか一切しないで、決められたスケジュールどおりにびしっと仕事をする。」
「キミ達は無駄話してるわけ?」とイジワル質問をすると、「ついつい無駄な時間を過ごしちゃうんだよねぇ。頭の中には、やらなきゃいけない仕事のことがずっとあるんだけどさ。それがストレスになっちゃったりして。」ストレスになるならちゃんと仕事しろよ。
「あんなに決められたとおりに生きていくって、日本人にとって幸せなの?」と逆に聞いてくる。「そういう幸せもあるんだよ」と答えました。
 
「人間、色んな選択肢を沢山与えられて、なんでも選べますよ、って言われると、かえって何も選べなくなっちゃう。選ぶことってのは、失うことだからね。日本はある意味とっても『機会均等』な国だから、ものすごく沢山の選択肢が人々の前に並べられている。そうすると、人間、どれを選んでいいのか分からなくなっちゃう。そういう時に、『きみはこれを選べばいいんだよ』とか、『キミの今日一日のスケジュールは、こうなっているよ』って、外から他人が選択してくれるっていうのも、一種の幸せっていえると思うんだ。」
「なるほどねぇ。そういえば、日本の若者が、自分の部屋に閉じこもって、一日中何もしないで、ひたすらプレイステーションをやり続けているっていう話を聞いたことがあるよ。誰とも会わないで、食事はドアの下の隙間から牢屋みたいに差し入れる。それも、『オレは何一つ選びたくない』っていうことなのかもしれないね」
「そうそう、『引きこもり』っていう社会現象だね。『引きこもり』が日本で社会問題化する背景には、そういう人々がちゃんと生きていける、食べていけるっていう社会環境もあるんだよ。両親がそういう子供にちゃんと食事を与えてしまう。」
 
…こんな話をオマーンの健康そうな兄ちゃんたちとしゃべっていると、改めて、日本という国における「幸せ」って何なのかなぁ、という気がしてきました。オマーン産油国で、一部の人たちは確かに豊かかもしれませんが、そういう豊かな上流階級の人々には、それなりの「ノブリス・オブリッジ」があり、かえって生き方の選択肢は限られたりする。そして、大多数の人々は、自分の生き方を選択することすらできないほど貧しい。でも、豊かになって選択肢が広がった日本人の多くが、どの選択肢も選びきれないままに、夢を失った挫折感だけを背負って不幸になっている姿を見ると、「選べること」=幸福、とは言い切れないような気もするんですよね。もちろん、他人や環境から強制的に与えられることが幸せ、とも言い切れないんだが。

自分で選ぶことができる、ということ自体が、ものすごく幸せなことなんだ、ということを、もっと日本の人たちは自覚した方がいいんだろうなぁ。だからこそ、自分が選んだことに対して、くよくよと後悔しない。自分が選ばなかった、あるいは選べなかった人生を、うらやましがったりしない。「知足」=足るを知る、ということ。確かに僕らは、毎日豪華な船でナイトクルーズをしながらフルコースを食べるような贅沢な生活はできないかもしれない。でも、一年に一回くらい、そういう贅沢な夜を過ごすことができる。「幸せ」ってのは、食卓から漂うポン酢しょうゆの匂いなんだ、と明石屋さんまが随分昔に歌ってましたけど、意外と真実なのかもしれないよねぇ。