インド紀行そのいち〜インドの道〜

この日記にも書いていた通り、インドに行ってまいりました。幸い、インド旅行者が必ず通るという胃腸の変調も起こらず、実に快適に過ごしてまいりました。しかしこの「インド」という国、本当にネタに困らない、というか、やっぱりすごい国です。あんまりすごいので、何度かに分けて、感想を書いていこうと思います。第一回目の今日は、「インドの道」のこと。そういえば、「インドへの道」、という映画があったな。全然関係ないけど。

ちなみに、今回のインド出張、インドについ最近まで5年間住んでいた、というインド通の青年(Sさん、といいます)と2人での出張でした。紀行の中に、Sさんの発言も何度も出てくると思います。

さて、「道」のこと。出張、という旅行だと、空港から車でホテルに入って、一晩寝たら車でホテルから会合場所に移動し、会合が終わってそのまま空港へ直行、なんてことはしょっちゅう。今回のインド滞在も、ほとんどそんな感じでした。そういう旅行の場合、街の印象は、移動の車の中から眺めた町並みと、「道」の印象で結構決まってくるように思います。

ムンバイに着いて、ホテルからチャーターした送迎車で移動したのは深夜だったのですが、夜遅い時間で、かつ、繁華街でもないのに、やたらと道の脇を歩いている人を見かける。歩いている人だけじゃなくて、何をするでもなくぼおっと座っている人もいる。道の真ん中に20人くらいの人が座って、火を焚いて鍋みたいなのを囲んでいる様子も見ました。

「深夜でも、何かしら人がいるんです。」と、Sさん。「それがインドの道です。人通りは何時になっても絶えませんし、何をしてるのか判らんような人たちが、何をするでもなくただくっちゃべっている、というのもよく見かけます。別に、物乞いとか、ホームレスばかり、というわけじゃないと思うんですがね」

ムンバイの街では、緑と黒と黄色に色分けされた4輪のタクシーを沢山見ました。でもこれは、インドではちょっと特別らしく、後で行ったニューデリーでは、3輪オートバイを同じ3色に塗った「オートリキシャ」という、ちびタクシーが一杯走っています。「オートリキシャ」と輪タクが走り回っている、というのが普通のインドの街らしい。まぁ、そういう違いはあるものの、共通しているのは、その無法ぶり。

インドの道路はすごく混みます。で、全員が、自分のことしか考えてません。とにかく、隙間があれば突っ込みます。車線なんてあってないようなもの、信号だって、別に交通量がなけりゃ、赤信号でもぶっとばす。逆走なんて当たり前、クラクションは鳴りっ放し、そしてその車の間を、オートリキシャや、バイクや、輪タクや、通行人や、物乞いが好き勝手に突っ込んできます。歩道があるのになんで車道を歩くの?とSさんに聞くと、「歩道は人が多いし、舗装がぼこぼこで歩きにくいから」だって。だからってさ。

実際、道路事情は無茶苦茶劣悪で、車道はまだしも、歩道近辺は、舗装は割れている、大きな泥だまりが出来ている、舗装そのものがなされていない、なんてのは当たり前。またそういう整備されていない道に、例によってあらゆる車や通行人やバイクが突っ込んでいくもんだから、日中の路地はものすごい渋滞です。そういう路地をさらに奥に入ると、ちょっときれいなお店があったりする。そこでお茶していたら、外に止まってたバイクの下で、アヒルたちがお昼寝をしていました。街のど真ん中なんだけど。

ヒル如きでびっくりしていたら、インドでは暮らしていけません。ニューデリーの路上で驚愕したのは、牛です。普通の路上で、いたるところで牛が寝そべっています。中央分離帯、道の脇のゴミ捨て場。そんなに群れているわけじゃなくて、2〜3頭くらいが普通なんですが、1度だけ、10頭ほどが道の半分をふさいでいるのを見ました。さすがに車は突っ込まず、よけて通ってました。子牛を大人の牛が囲む形で立っています。「昔、国会で、野良牛を追放しよう、という法案が否決されたことがあったそうですよ」と、Sさん。野良牛っていう単語は初めて聞いたよ。駐在員の方に至っては、ラクダに乗った騎兵隊の行列に出くわして、30分ほど足止めを食ったことがあったそうな。120頭くらいのラクダが列をなして、舗装道路を歩いているところをご想像あそばせ。

さて、インドといえば、なんと言っても有名なのが物乞い。小さな子供、赤ん坊を抱いた女、肢体不自由者、老人が多いです。信号待ちをしていると、外国人とみて、すかさず、車の窓を叩きにくる。歩道を歩いていても、ぐったりしたやせ細った赤ん坊を抱いた女が袖を引っ張ったりする。これは結構落ち込みます。でも、「絶対に目を合わせないでくださいね」と、Sさん。「離れなくなっちゃうし、ヘタにお金をあげたりすると、仲間を呼んでどんどん増えてきますから。」ちなみに、抱いている赤ん坊は、大抵、他人からの借り物で、暴れたり泣いたりしないで、病気の赤ん坊に見えるように、麻薬を飲ませてフラフラにさせるのだそうです。すさまじい話。

道はポイ捨て天国で、でっかい泥溜りがいたるところにあり、とにかく汚いです。なぜかビルの外壁も、掃除をしないらしくて無闇に汚い。Sさんがインドに来たばっかりのころ、バスに乗って、ハンバーガーを食べて、食べ終わった包み紙をどこに捨てようか、ときょろきょろしていたら、隣に座ったおばさんが、

「こうすりゃいいでしょ?」

と、そのゴミを窓の外にぽい、と捨てちゃったそうな。そういうゴミが道の端にがさがさ溜まっている。それをよけて、また人が車道を堂々と歩く。おいおい。

汚い、人は多い、犬も多い、時々牛もいる。クラクションは鳴りっぱなし、とにかくぐちゃぐちゃの雑多な通り。でも、道を歩いている人の表情は、物乞いを含めてなぜかさほど殺気だってない感じがします。妙に充足した表情をしている。東京や北京あたりの、周囲に喧嘩を売っている険のある目の人はあんまりいません。

物乞いは至るところにいるのですが、彼らにも明確なルールがあって、住居やお店の中には絶対に入ってこないんですね。ゴミ捨てだの、交通ルールだのといった公共の秩序は破り放題なんですが、カーストなどの旧秩序に基づいた絶対の規律のようなものがあって、それが人を律している。無秩序のように見えるんだけど、どこかで秩序があるんです。そういう秩序感が、住んでいる人の心を荒廃させないのかもしれない。汚い、うるさい、わけわからん、でもなんとなく、妙にストレスを感じない。それがインドの道でした。