ブログってのは面倒だよね

先週末、オラ生きてるだよ、ということで携帯からちょっとだけ書き込みをしましたが、中途半端に終わっちゃいました。今日もバタバタ忙しいのですが、週末の活動と一緒に、書きたかったことの続きも書きたいと思います。

・録画していた「キューティー・ハニー」を見る。色々言い訳したくなるけど、それはまあ後でね。
・「ベートーヴェン 不滅の恋」を読了。感想書く前に、色々他の情報も仕入れたい気がする。
ガレリア座の合唱練に参加。音が取れたら次のこと・・・って、取れてないなぁ。
大田区民オペラ合唱団の練習に参加。音楽が体に入っていない・・・

今日は、週末書きたかったことの続きを。

ブログを書くことで、自分の頭の中にあるもやもやを形にする時、常に考えないといけないことは、「他人の視線」。ネットにおける情報発信というと、いわゆる2ちゃんねる系のなんでもありの掲示板が想定されますけど、ああいうトイレの落書き的な世界が発達するためには、書き込んでいる人の「匿名性」が確保されていることが必要になる。それはよく言われていることですよね。でも、「ブログ」というのは、個人に所属する日記ですから、その記述を追いかけていくことで次第に「匿名性」が失われてくる。著者を特定することができるようになる。私も、カウンターが上がってきて、Yahoo検索なんかでひっかかるようになると、知り合いの方なんかに、「日記見てますよ」なんて声をかけられることがよくあります。そうなってくると、ヘタなことは書けなくなってくる。そうやってYahoo検索で見つけられるのがイヤで、特定の話題に触れないようにしたりする。

時々、すごく不用意に他人を傷つける内容をブログに書いちゃって、トラブルになる、なんて話を聞きますし、実を言うと、私の近辺でも最近そういう事件があったりしました。それって、ブログ、という表現形態が、ネット文化の一つの特性である「匿名性」を担保していない、ということにきちんと気付くかどうか、という点にかかってくるんだよね。あくまで「匿名性」を担保した形でブログという表現形態を使うのであれば、自分の生活に密着した内容を書くべきではない。自分の生活に密着した内容を書くのであれば、それによって「匿名性」がはがされることを予想しないといけない。結果として、「Singspieler」ではなくて、「xxxx」という個人が、こんなことを書いている、と見られるのだ、ということを覚悟しないといけない。

そういう覚悟を固めていても、トラブルが生じる可能性は中々消えません。だから、書く内容には非常に気を使います。そういう「トラブル回避」のためのノウハウが最も蓄積されているのが、各種マスコミだったりする。楽天によるTBSの買収とか、ライブドアVSフジテレビなどの事件の際に、マスコミ側の人が、「公共性」ということを声高に言っていました。その「公共性」というのは、実は上述のような「トラブル回避」のノウハウの集大成とほぼ同義だったりする。そういう「トラブル回避」のノウハウを全く持っていない個人が情報発信する「ブログ」という手段は、「個人の自由な意見を簡単に全世界に発信することができる」なんて言いますけど、実はそう簡単なツールじゃない。「匿名性」を担保するための周到な配慮か、あるいは、「他者とのトラブル回避」のための周到な配慮が必要な、実は結構「不自由」な表現媒体なんじゃないかなぁ。

もう一つ、「ブロガー」たちの陥りやすい罠としては、「違う自分」を演じてしまうこと。それは、前述の「匿名性」ということと地続きなのだけど、少し違う。ちゃんと、「僕がこの日記を書いている本人だ、ということを知っている知り合いに読ませる」ことを目的とし、「僕って、ほんとうはこんな人間なんだよねぇ」という内容を書いているうちに、その「ほんとうの自分」が、全然本当の自分とは違ってくる、という逆説的な現象。

これは実は、私の日記にだってよくあることなんです。例えば私が、「先日のガレリア座の練習では、なかなかこういう点ができませんでした。すごく大事なことなのに・・・」なんてことを書いていたとする。わりとよく書いてる気がするぞ。でもね、そんなの、自分が気付いたことでもなんでもなくって、後から女房に指摘されたことだったりするかもしれない。もっとヒドイ場合には、「ほんとうは僕自身はできてたんだけどね。僕はカンペキだったんだけどさ。他の人が気付いてないだろうと思うから、ここに書いとこう。こういうことに気がつくオレって、かっこいいよなぁ」ということが、実は「本当に言いたいこと」かもしれない。とすると、ほんとうの自分は、「大事なことができなくて反省している自分」なんかじゃなくて、「大事なことに気付いた自分はすごいなぁ、といいたい自分」ですよね。

ブログというのは他人に読ませるもの。そして、「匿名性」を担保することがかなり難しいもの。だからこそ、常に「他人の目」を意識しないといけないし、他人の目を意識しすぎると、「本当の自分」からはどんどん離れていく。「ブログなんてしょせん、フィクションの自分を演じる場所なんだ」と割り切りながら、読み手が不愉快になったり、無用なトラブルを産まないように配慮しながら、自分自身の中にあるものを謙虚に見つめながら、なんだか適当な文章を綴っていく不自由なツール。それがブログというものなのかもしれないですね。今頃こんなことに気付いているオレって、すごいなぁ、と言いたい文章だろうか、これは?ううむ。