「アップル・シード」〜気持ちワル〜

ディズニーアニメの金字塔といわれる「白雪姫」を見た時に、なんか微妙な「気持ちワル」さを感じた記憶があります。手塚治虫が発明した「省力TVアニメ」に見慣れていたせいもあると思うんですがね。「省力TVアニメ」ってのは私の造語ですけど、いわゆる、「動いていないのに動いているように見せる」アニメ。最小限のセル画で、動いているように見せてしまう。代表的なのが、アゴが動かないのに口だけが動いて、喋っているように見せる、という、今のアニメでも定着した手法。アメリカのアニメ製作者が、「アゴを動かさないで口だけ動かすテクニックを教えてほしい」って、日本のアニメータに尋ねたことがあるそうです。他にも、止まっているアトムの絵の後ろに、線を描いて、その線を微妙に動かすと、アトムが飛んでいるように見える、とか。

沢山のセル画を使って、「いかにリアルに動かすか」ということに注力していた東映動画大塚康生さんが、「鉄腕アトム」を見て、「全然動いてない。アニメじゃないじゃん」と驚愕した、という話がありました。要するに、1週間に1回、という放送スケジュールに間に合わせるために、極力、描く絵を減らそう、としたんですね。これによって、日本のアニメは、「絵をリアルに動かす」ということから、「いかに限定された絵を、ダイナミックに見せるか」というテクニックに走り始める。リアリティではなく、デフォルメを目指す方向性。その一つの究極が、スタジオZや、金田伊功さんといったアニメータ集団が産んだ、極端にデフォルメされた戦闘シーンだったりする。ピンとこない人は、「天空の城ラピュタ」の嵐の中に現われる龍の道のシーンや、「幻魔大戦」のラストの戦闘シーン、あるいは、山下将仁さんが描いた、「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」の、深夜の学校探検シーンを思い起こしてもらえればいい。

そういう方向性で発達したTVアニメを見慣れた目で見ると、ライブアクション(実際の俳優さんの動きをフィルムで撮影し、そのフィルムの上に作画していく)を駆使した、極めて「リアル」な「白雪姫」の人物の動き、というのが、なんだか妙に「気持ちワル」く見えちゃう。ライブアクションの手法はその後のディズニーアニメでも多用されていますけど、デフォルメ技術が向上したせいか、さほど違和感がないんですがね。「白雪姫」の冒頭シーンとか、なんかちょっと「気持ちワル」い。もともとアニメのキャラクターというのはそれなりにデフォルメされているのに、それが妙にリアルに動く違和感かなぁ。

アップル・シード」という映画、極めて革新的な技術が使われた、ということで話題になっていましたよね。フィルムシステムを使ったライブアクションではなく、実際の俳優さんが演じた動きや、顔の表情を、「モーションキャプチャー」という手法でそのままデジタルデータとして取り込んだ上で、CGアニメにコンピュータ上で加工し、セル・アニメ風に彩色する。仕上がった映像を見ると、確かに実にリアルなんですが、「白雪姫」と同じ違和感を感じてしまう。特に、キャラクターの顔がアップになった時、その違和感がものすごく強くなる。

俳優さんの顔の表情までモーションキャプチャーで取り込んでアニメ化しているんですが、その細かい表情を、「萌え系」アニメ美少女のデフォルメされた顔が演じる。これは正直、「気持ちワル」いですよ。実際、脇役の軍人さんたちとか、多少リアリズムで造型されたキャラクターの「顔の演技」は、さほど違和感がなかったりもするのだけど、主役のデュナンとヒトミの顔がアップになるたびに、「や、やめてくれー」と叫びたくなる。

さらに「気持ちワル」さを助長しているのが、映画全体から、「美少女に戦闘服コスプレさせて派手に戦争させて、でっかいカッコイイメカがバトルする映画を作ろう」という欲求以上のものを感じないこと。ストーリの基調には、「攻殻機動隊」に通じる、「ヒトとヒトならざるもの」の関係性、という、非常に哲学的なテーゼが示されているのに、そんなものはどっかに置き忘れられている。ひたすらハリウッド的な単純明快エンターテイメント。いや、それはそれでいいんだけどさ。

技術の革新性、映像の美しさ、ダイナミックな演出、確かに一種のカタルシスを与えてくれる面白い映画ではあるんですけどね。「ジュラシック・パーク」が公開された時、「恐竜はすごいんだけど、人間が描けてない」「でも、恐竜があそこまで描けりゃいいじゃん」なんていう会話があった、と記憶してます。おんなじ感覚だなぁ。ここまで美少女とメカが綺麗な映像背景にリアルに動けりゃ、それでいいじゃん、と言われるとそれまでなんだが。

あるマンガ家、確か、大友克洋さんだったと思うんだけど、「女の子を美少女に描くのはイヤなんですよ。汚い女の子を描きたい。美少女にしようと思ったらカンタンですから」ということをおっしゃっていた記憶があります。非常に象徴的な言葉で、美少女が色っぽい服着てにっこり微笑むシーンを多用すれば、日本のアニメファンのかなりの部分を取り込める、という市場の要請はあるでしょう。でも、美少女のコスプレが大きな目的の一つになってる映画ってのは、いかがなものなのかねぇ。