「ハッピー・フィート」〜ハッピー・エンドにしたい気持ちは分かるが〜

出張中の飛行機の中で見た映画の2本目は、皇帝ペンギンの群舞が圧倒的な「ハッピー・フィート」。CG処理によるアニメ映画の技術は、既にアニメと実写の境界を越えている。「グラディエーター」や「ピンポン」の群集シーンがCG処理だったように、CGは群集シーンに強いのだけど、「ハッピー・フィート」でもそのパワーは発揮されていて、クライマックスの群舞シーンはすごい。

すごいんだけど、後味がいい映画じゃない。以下、ネタバレ含むので、ご覧になっていない方はご注意ください。

集団から外れた異能の存在が、集団そのものを救う能力を持っていた、というテーマ自体は理解できるし、人への思いやりとその思いの強さが、異種族間のコミュニケーションを可能にする、というテーマは、ジョージ・ミラー監督が「ベイブ」でも見せてくれた奇跡のストーリ。CGを駆使している、動物が主人公である、物語全体が、一種のペシミズムとシニカルな世界観で貫かれている、という共通点もあり、どうしても「ベイブ」と比較してしまうのだけど、映画としては「ベイブ」の方が成功していると思うのだね。

「ベイブ」でも、思いを伝える手段として「ダンス」があって、そのあたりにも共通の発想を感じる。でも、「ベイブ」が、あくまで一人の人間と一匹のブタの間の、非常に個人的な「相互理解」がテーマだったのに比べ、「ハッピー・フィート」は、魚という共通の資源を巡る、ペンギンという種族と人間という種族の葛藤と相互理解がテーマになる。結局、話がでかすぎて、最後のハッピー・エンドの違和感が強くなりすぎるんだなぁ。単純に、「そりゃ無理でしょ」と思っちゃう。いかにペンギンが心をこめて踊ったって、無理なものは無理だよ、と。

もちろん、ハッピー・エンドにしたかった製作者側の気持ちはすごくよく分かる。逆に言えば、アンハッピー・エンドなら腐るほど用意できるくらいに、南極のペンギンを巡る環境は最悪の状況にある。ちょうど、帰国したばかりの週末、NHKのドキュメンタリーで、巨大氷山が皇帝ペンギンの居住区だった氷原に衝突したために、漁場だった海への出口を塞がれてしまい、そこにあった皇帝ペンギンのコロニーが、完全に全滅してしまった、というドキュメンタリーを放送していて、そのタイミングのよさに暗澹とする。映画が描いていたように、南氷洋の大規模漁業のために食料を奪われる、というシナリオだけでなく、温暖化の影響で降るはずのない冷たい雨が降り、保温力のないヒナたちが次々と死んでいく、という実態もあるそうです。皇帝ペンギンはまさに、人間の手によって滅ぼされた数多くの動物たちの仲間入りをする瀬戸際にある。

ハッピー・エンドと、可愛いペンギンたちが踊るラスト・クレジットを眺めながら、それでも暗澹たる気分になってしまう、というのは、映画の製作者の意図かもしれないけどね。同じジョージ・ミラーの「マッドマックス」にしても、爽快感と共にどうにも救いがたい終末観が横たわっていて、結構暗澹たる気分にさせてくれたし。ペンギンたちのダンスや歌が可愛い、と、ただ楽しく見るだけではすまない、かなり重たく暗いテーマを持った映画です。どうでもいいけど、CGアニメってどうしてああいうジェットコースターシーンを織り込まないといけない、と自己規定しているのだろうか。映画館で見たら酔っちゃいそうだな。