ボビーZの気怠く優雅な人生〜アメリカという国の裏側〜

あまりこの日記では取り上げていませんが、いわゆるアメリカン・ミステリーが結構好きだった時期がありました。書評とかを読んで、この本面白そうだ、と思い、いくつかのシリーズものを追いかけてみる。特に気に入ったのが、ネクラ作家のトマス・クック。彼の小説は、「赤い記憶」が鈴木京香さんでTVドラマ化されましたっけ。自殺される直前の野沢尚さんが脚本を書かれて、死の予感というか、破滅的な匂いの漂う、不思議なドラマに仕上がっていました。キース・ピーターソンの「事件記者ジョン・ウェルズ」のシリーズも、中々ハードボイルドで好きだったなぁ。

そんな風に追いかけた海外ミステリ、中でもとにかくその情報量に圧倒されたのが、ドン・ウィンズロウの「ストリート・キッズ」のシリーズでした。宮部みゆきさんお奨めの本、という帯に惹かれて買ったのですが、実に泣ける物語の上に、作家の持つ恐ろしく広範で該博な知識が、これでもかこれでもか、と詰め込まれている。

先日、ドン・ウィンズロウの「ボビーZの気怠く優雅な人生」を読了し、最近刊行されたばかりの、「ストリート・キッズ」シリーズの最新刊を除いて、ドン・ウィンズロウの邦訳作品を一通り読了。ドン・ウィンズロウという人は、どの本の解説を見ても、「過去の経歴が多彩すぎて、正体が全然つかめない」方、として紹介されています。実に様々な職業を経験し、政府の諜報機関にまで所属した職歴をお持ちだとか。そのせいでしょうか、彼の描く小説の一つの大きな特徴が、「アメリカの暗黒面」のリアルすぎる描写にある気がします。

ドン・ウィンズロウ作品、どれも実に面白く、本当に一気に読めてしまうお奨め本なんですが、共通する要素が3点ほどある気がしています。1つが、メロドラマ性。2つめが、残虐性。3つめが、前述の「アメリカの暗黒面」のリアルさ。

メロドラマ性、というのが、彼の作品の魅力の中核にあるのは確かな気がします。「ストリート・キッズ」が人々の絶賛をあびたのは、ストーリーテリングの見事さも当然ながら、ニール・ケアリーという主人公の切ない恋物語、というセンチメンタリズムが読者の心を捉えた部分が大きいと思う。こういう「泣かせる」道具立て、というのが彼は本当に上手で、「ボビーZ」でも、子どもの使い方が実に上手く、お人よしのこそ泥が命をかけて苦難に挑んでいく動機をリアルかつ感動的に見せています。

2つめの、残虐性、というのは、傑作「カリフォルニアの炎」と、この「ボビーZ」で表に出てきているのだけど、簡単に人の頭吹っ飛ばしたり、マフィアの残酷な処刑シーンを淡々と(時にはユーモアさえ加えながら)描写したり、と、ちょっと健全な方々にはお奨めできないような「えぐい」シーンの多さ。これは、3つめの「アメリカの暗黒面」の描写にもつながってくるのだけど。

ドン・ウィンズロウの小説を読んで、なんだか目からウロコが落ちるような気分になるのは、3番目の特性の、あまりにリアルな「アメリカの暗黒面」の描写です。個人的には、ストーリの重厚性と、主役を完全に食っている悪役の最期が泣ける、「カリフォルニアの炎」が、ストリート・キッズのシリーズよりも好きだったりする。その「カリフォルニアの炎」と、「ボビーZ」で描かれるアメリカ西海岸は、陽光あふれる豊かなアメリカではありません。浜辺に寝そべるリッチな白人たちを蝕む大麻と、その薬物を一手に扱う犯罪組織の仁義なき戦い。犯罪組織の後ろには、極端に貧しい貧困層があり、メキシコからの移民があり、ロシア・マフィアの鉄の掟がある。

今回、「カトリーナ」であぶりだされたのと同じ、アメリカという国の暗黒面。表に出ている「豊かな国」「安全な国」「希望の国」としてのアメリカと、「貧しい国」「暴力の国」「絶望の国」としてのアメリカ。その二重性が、ドン・ウィンズロウの小説の中に、極めて分かりやすい形で表現されている。そこがすごく面白い。

全編お気楽なエンターテイメントで、ストーリテリングも見事なものなんですが、ドン・ウィンズロウの小説には、どこかにそういう「毒」がある。アメリカの豊かさを支えている背景にある、どうしようもない貧しさ、救いがたい暴力、そして絶望。恐ろしくリアルに語られるアメリカの暗黒面。どきどきはらはらのスリリングな展開にわくわくしながら読み進め、爽快な読了感を残しながらも、彼の小説にはどこかに、ずっしりとした「リアルなアメリカ」が存在している気がするんです。ストリート・キッズの最新刊、読まなきゃなぁ。