「再現」〜完成された文法〜

映画でも文章でもそうなんでしょうが、作家というのは次第に変貌していくものですよね。ただその変貌の過程にあっても、その作家の基本的なテイスト、というか、決して変わらないものがある。その変わらない部分が、非常に個性的で魅力的な味を持っている時に、その作品は実に「スタイリッシュ」なものになる。以前この日記で、実相寺昭雄さんの映画が、ワンパターンなんだけどスタイリッシュで好きだ、なんてことを書きましたけど、そういうこと。一目見ただけで、ああ、あの監督だな、と分かる。その映像のスタイルがたまらなく魅力的。

週末、本当にちらっと、CATVで放送されていた「ねらわれた学園」のラストシーンあたりを見ました。女房が学生時代に映画館で見て、館内大爆笑だったというラストシーン。大林宣彦という監督の初期の長編映画は、試行錯誤の連続だったんだねぇ。「ハウス」はアバンギャルドで実に面白かったんだけど、商業映画に進出してから、彼なりのスタイルを確立するのに、色んな実験をやっている。「瞳の中の訪問者」なんかも、笑うしかないシーンがてんこ盛り。いい意味でも悪い意味でも「クサイ」感覚の持ち主だから、すべると「ねらわれた学園」になっちゃうんだなぁ。「尾道三部作」でやっと、自分のスタイルを確立して、今ではすっかり大監督ですけどね。

今月、ムービープラスというCATVのチャンネルで、テオ・アンゲロプロス監督特集をやっています。彼の劇場デビュー作である「再現」から、池澤夏樹さんと自作について語っている「テオ・オン・テオ」まで、アンゲロプロスファンにはたまらない企画。放送作品を全部DVDに録画したんだけど、見ているヒマが全然ない。ゆっくり見ることにして、まずこの週末に、「再現」を見ました。

基本は、「羅生門」=「藪の中」に通じる犯罪サスペンス映画なんですが、このデビュー作ですでに、アンゲロプロスのスタイルが確立していることに驚く。「旅芸人の記録」の息が詰まるようなワンシーン・ワンカットまではいかず、それなりにカットを割っているんですが、それでも、全体のリズム感は、完全に完成されている。最小限のセリフ、最小限の動き、ゆったりとした間のとり方で高まる緊張感。ラストシーンのワンシーン・ワンカット長回しシーンの緊迫感の素晴らしさといったら。

特に感動したのは、効果音の素晴らしさ。人々の足元でカラカラと音を立てる石の音、石畳を踏む靴の乾いた音。常になり続ける鐘の音、降りしきる雨の音、トラックの音からパトカーのサイレンまで、音が芝居をしている感覚。映画の全編が、一つの音楽を聴いてるような、張り詰めた沈黙と張り詰めた音に充ちている。

「雨」と、「曇天」へのこだわりも、アンゲロプロスの映画らしい。彼の映画の印象があるので、ギリシャという国は常に雨が降っている印象があるんですけどね。地中海性気候なんだから、そんなはずはないんだが。

冒頭、降りしきる雨の中、遠景からおんぼろバスが近づいてくるシーンから、「ああ、アンゲロプロスだ」とわくわくします。モノクロの画面でありながら、どのカットも計算されつくした、奥行きと広がりと美しさを持っている。DVDに収めた10本以上の作品を見ていくには相当時間がかかるでしょうから、しばらくこの日記でも、アンゲロプロスの作品についての感想を書きつないでいこうと思います。