「例の」ばらの騎士

金曜日の週末、以前からやりたかったことをする。何をやりたかったかというと、先日クラシカジャパンで放送していた、クライバー指揮、オットー・シェンク演出の、ウィーンシュターツオーパの「ばらの騎士」を、赤ワインをちびちび飲みながら堪能すること。なかなか時間が取れなかったのですが、やっと実現できました。夜中の2時くらいまでかけて、じっくり鑑賞。

しかし、ほんとにいいですねぇ。私は音楽の細かい構成のこととかは分からないのですが、1幕ラストの元帥夫人のモノローグ(アリア、というより、モノローグ、という感じ)なんか、聞いているだけでなんだかうるうるしてしまう。よく分からないのだけど、ドイツ語と旋律の間に全く矛盾がない感じがする。普通、オペラの台本作家、というのは、少数の例外を除いて、あまりクローズアップされないのじゃないか、と思うのですが、ホフマンスタールはやっぱり別格なんだなぁ、と実感。リヒャルト・シュトラウスと、相当丁丁発止でやりあったんじゃないかなぁ。音楽と言語の絶妙な絡み合い。

とにかく、不愉快なところが一切ない。全てが心地よい。気持ちよいことだけを追及していく贅沢さ。2幕の、オクタヴィアンとゾフィーの2重唱なんか、もう、羽根で背中をさわさわと撫ぜられているようで、もうやめてえええぇぇぇ、という感じがするし、3幕の終幕の3重唱に至っては、気持ちよいのに、切なくて、ほろ苦くて、涙なしには見られない。キャスティングもほんとに最高。元帥夫人のフェリシティ・ロットさんなんか、ただ椅子に寄りかかっているだけなのに、気品があって美しくて、愁いがあって姿勢がよくて、首筋がすっとしていて吉永小百合さんみたいで、ああもうううおお(錯乱)。フォン・オッターさんの若々しい騎士、バーバラ・ボニーさんの初々しさ。クルト・モルさんのいやらしいんだけど憎めないオックス。キャラクターの素晴らしさは勿論、全員のアンサンブルの見事なこと。恐ろしく難しいオペラだと思うのだけど、全然ハーモニーが崩れない。完璧なピッチと、完全にコントロールされた高音のピアニッシモ

・・・でも、なんといってもクライバーさんなんだよねぇ。2幕終盤のオックスのワルツの3拍子なんか、他の誰があんな3拍子を刻めるっていうのさ。この間、カメラは舞台上から離れて、ずっと3拍子を振りつづける(というか踊りつづける)クライバーさんだけをとらえていました。これはもう指揮なんてものを越えてる。全身が音楽なんだ。全身だけじゃない、まとっている空気、迸っているエネルギー、空間全体を支配するオーラ、全てが音楽なんだ。脇で見ていた女房が、「踊っているだけみたいなのに、完璧に3つの拍が見える」と驚愕していました。つまりは、完璧な指揮であり、かつ、完璧な音楽なんだなぁ。音楽を理解すること、音楽を愛すること、それだってそれなりに難しいけど、その音楽を「表現する」ことはもっと難しい。さらに、その音楽で全てを支配してしまうこと、というのは、もう神様の領域に入ってくる。クライバーさんは、その領域に既に入っちゃった人だったんだねぇ。

この指揮をもう見られないんだなぁ。女房は、「私はこのばらの騎士を見たのよ、おほほほほ」と高笑いしながら去っていきました。女房が見たのは、東京文化会館で上演された同じプロダクションの「ばらの騎士」。この演奏が、クライバーの生涯最後のオペラ指揮になったそうです。楽壇に登場した時から、完璧に完成された音楽を持っていたクライバー。円熟とか、老成といったところから無縁で、いつまでも少年でありつづけたクライバー。ひょっとして、「ボクは死んじゃったからね」なんて姿をくらませて、どこか中欧あたりの田舎で、畑耕してるんじゃないかなぁ。畑はもちろんぶどう畑で、家と畑の間をフェラーリで往復してるんだ。いいなぁ。