高畑勲さんのこと

久しぶりの更新ですね。なんだか最近この日記の更新が月一回ペースになっちゃってて申し訳ない限り。せめて毎週一回くらい更新したいとは思っているんですが・・・なんて書くと、Singさんも色々忙しくて時間がないのね、なんて皆さん同情して下さると思いますけど、実は意外と時間はあるんです。ただ最近、実は、家族にも友達にも恥ずかしくて言えないような某アイドルグループの沼にはまってしまって、時間があると彼らの近況をネットで追いかけたり、月曜日に彼らが出ている生放送のネット配信番組を見たり、なんてことにかなりの時間を割いてしまってるんですわ。それで日記の更新にまでたどりつけてない。この日記でも時々出てくるBABYMETALではないところがまた情けない。本当にただのキモいドルヲタ状態になりつつある。やばい。本当にやばい。

そんな私でも、やっぱりこの方のことはちゃんと日記に書いておこうかな、と思ったのは、先日お亡くなりになった高畑勲さんのこと。訃報に触れた時、何かしら、ああ、終わったな、という気がすごくした。不思議なんだけど、同じように自分が高校生時代にのめりこんだ大瀧詠一さんが急死された時には、そういう「あ、終わってしまった」という気持ちにはならなかったんだけどね。あまりにも急な亡くなり方だったせいだと思うのだけど、高畑さんは、ある意味しっかりと年を重ねて、83歳という寿命を全うした感があるから、余計にそう思うのかもしれない。自分の青春時代の精神世界の大きな部分を支えてくれた巨人が、きちんと年を重ねて天に召された姿に、「ああ、オレも年を取ったんだ」「あの高校時代はもう遠い昔なんだ」という実感がすごくリアルに迫ってきた感じ。

とはいえ、高畑さんの作品との出会いは、あまり幸福なものじゃなかったと思う。ヤマトの裏番組だった「アルプスの少女ハイジ」をリアルタイムで見たわけじゃない。「太陽の王子ホルスの大冒険」を東映マンガ祭りで見たわけでもない。むしろやっぱり宮崎駿大塚康生の名前が先にあって、その盟友、あるいは先駆者としての高畑勲を認識して、「宮崎さんが師匠と仰ぐ高畑さんの作品もちゃんと見ないと」という、アニメオタクの視点で作品を見始めた気がする。

入り口が不純ですよね。最初から何かしらマニアの目で見てしまう。でも、そういう少し冷めた視線から見ている、という点を差し引いても、高畑さんの作品には、熱狂的なカタルシスとか、カルト的な世界観とか、カリスマ性のあるキャラクターとかがあまり出てこなかった気がします。むしろそういうものをひたすら排除していった先に、高畑さんにしか描けない強烈な作家性が生まれてくる、というのが高畑さんの作品世界だった気がする。

昔、宮崎さんの「未来少年コナン」の主人公のコナンが、その超人的なバイタリティで物語を引っ張っていくのに比べて、高畑さんの「母をたずねて三千里」のマルコがあまりにもヘタレで、こんな奴を主人公にするってどういうことさ、と思ったことがある。でも、「母をたずねて三千里」の最終回、マルコが自分のたどってきた長い旅路を遡って、お母さんと一緒に故郷に帰っていく回で、もう涙が止まらなくなって驚いちゃった。ヘタレで、どこにでもいる普通の子供に過ぎないマルコが長い旅路を耐えられたのは、これもまた、どこにでもいる普通の人たちの善意と愛情の蓄積だった、というのが、これでもかとばかりに描かれて、これこそが高畑さんの描きたかったことだったのか、と。

そう思えば、高畑さんの最初の劇場版アニメ作品「太陽の王子ホルスの大冒険」のホルスも、「王子」なんて呼ばれながら全然王子っぽくない。ヒーローとはとても言えない、本当に普通の少年。そしてその少年が、太陽の剣を鍛えて悪魔グルンワルドを倒せたのは、村の人々が心を一つに燃やした炎の力のおかげだった。「一人ではなくみんなで」という、「ヒーロー否定」というのは、まさに高畑さんの一つの軸だった気がする。

高畑さんの作品で一番好きな作品を上げてみて、と言われたら、「おもいでぽろぽろ」かなぁ。まだジブリも立ち上がったばっかりの試行錯誤の時期で、この直前に高畑さんが作ったドキュメンタリー映画「柳河掘割物語」の影響が結構感じられる作品。スタジオジブリが本格稼働してからの宮崎さんや高畑さんの作品って、実はあんまり好きじゃないんです。彼らが自分自身の名前を商品化して、その作家性や独自の世界観を突き詰めざるを得ない所に追い込まれた結果として、作品自体のエンターテイメントとしてのバランスが崩れている感じがするんだよね。なんのかんの言って宮崎駿さんは「カリオストロ」「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」で終わってる気がする。高畑さんの遺作になってしまった「かぐや姫の物語」とか、日本のアニメの世界にこれを残さないと、みたいな使命感のようなものを背負ってしまった感じがして、ちょっと真っ直ぐ楽しめない感じがしちゃいます。

高畑作品の中で一番好き、とは言わないけど、一番色んな人に見てほしいなぁ、と思う作品は、何といっても「パンダコパンダ」「パンダコパンダ〜雨降りサーカス」です。良質なファンタジーを作り上げるには、いかに日常のリアリズムをしっかり描くかが鍵である、という一つの典型例、なんて蘊蓄垂れてもいいし、パパパンダがトトロそっくりだ、とか、「崖の上のポニョ」にそっくりなシーンが出てくる、といったマニアックな見方もできますけど、そういう色んな色眼鏡抜きにして、心の中にあるうじゃうじゃと薄汚れたものが全部きれいに洗われてしまうような、ヒーリング効果が半端ない作品です。「セロ弾きのゴーシュ」もそういうヒーリング効果があるんだよね。ヒーリング効果って、高畑さんの作品の一つの共通項かもしれないなぁ。あ、「火垂るの墓」はちょっと違うと思いますけどね。あれはまた別の使命感で作られた作品だから。

ヒーロー不在の世界で、普通に暮らしている普通の人々が、ただ自分らしく一生懸命生きていく中で生まれる、小さな感動。高畑さんの作品にはそういう場面が沢山あって、それが本当に好きでした。あっちで森康二さんが、「やっと来たのかよ」なんて言ってるかなぁ。心からご冥福をお祈りいたします。