宮部みゆき「日暮らし」を読了。丁寧に描かれる「癒し」のプロセス。
少し前に、「日暮らし」の前作にあたる、「ぼんくら」を読んで、なんとも後味の悪いエンディングに、宮部さんってひょっとして、予定調和の世界を捨てちゃったのかなぁ、と、ちょっと寂しい気持ちになったのだけど、続編である「日暮らし」では、大丈夫、そんなことないよ、と、ぽん、と背中を叩かれたような、いい気分にさせていただきました。ラストの派手な大団円のシーンに至るまで、「ぼんくら」から展開されてきた伏線の全てが、しっかり腑に落ちていくプロセスが快感。
実を言えば、「ぼんくら」を読んで、どこかしら消化不良のような気分にはなったんだよね。例えば「孤宿の人」にせよ、あるいは「理由」にせよ、後味の悪さみたいなのがないわけじゃないんだけど、それなりに爽快感というか、カタルシスのあるエンディングだった感想。でも「ぼんくら」は、なんか寂寥感と無力感さえ漂うような寂しいラストで、なんだかどーんと落ち込んでしまった感じがした。多分、宮部さん自身の中にも、「ぼんくら」を書き終えて、ちょっと未消化な気分が残ったんじゃないかなぁ。もちろん、宮部さんのことだから、「ぼんくら」を書く時点から、「日暮らし」までの構想がきちんとあって、「ぼんくら」の読後感の悪さみたいなのも計算した上で、読者を焦らすだけ焦らしておいて、「日暮らし」を発表する・・・なんていう高等テクニックかもしれないけど。だとしたらものの見事に、その術中にはまっていますよね。
爽快な大団円とはいえ、シンプルなめでたしめでたし、ではなくって、人間の抱えている業のようなものまでしっかり見つめている所がいい。そういう業を抱えながらも、人間は生きていかなければいけない、例えば自殺のような道を安易に選んでしまうのではなくって、後悔の念にさいなまれる地獄のような人生を送るとしても、やっぱり人間は生きていかねばならないんだ・・・というような、そんな思いが伝わってきて、ちょっと胸が痛くなる感じもします。
「孤宿の人」を時代劇ファンタジーのように読んだのですけど、「日暮らし」でも、どこかしらファンタジーの匂いがします。派手さも加わって、霊験お初シリーズの「天狗風」のような荒唐無稽感すら漂うのだけど、むしろそれは、上記のような宮部さん自身の痛いような気持ち・・・どんなに苦しくても、辛くても、自分の罪を抱えて、見つめて、生きていってほしい、という願望のようなものがこめられているような気がする。逆に言えば、ファンタジーのオブラートにくるまなければならないくらい、人の業を癒すことっていうのは難しい、という現実の裏返しなのかもしれないけど。