せんせい、あのね

娘の小学校では、年に4回、季刊という形で、全校生徒の作文集が発行されています。その時々に生徒が書いた作文を文集にしているんですね。先日、夏の作文集が発行されて、今年入学した1年生の作文が初めて掲載されました。「せんせい、あのね」という言葉で始まる文章で、担任の先生に話したいことや、聞きたいことを自由に書いてください、という課題だったそうなんですけど、これがやけに面白かった。学校には無断なんですが、一部転載。(プライバシーの問題とかいろいろあると思うので、当たり障りのないものだけね。)
 
せんせい、あのね、きょうのあさ、おにぎりをたべました。

せんせい、あのね、でんしゃをつくって、でんしゃもはしらせて、しんごうもつくっていませんけど、つくるよていです。ふみきりも、ホームにドアもつくってでんしゃみたいにします。

せんせい、あのね、きのう、ゆうがた、○○(この子の名前)と、おにいちゃんで、ドッチボールをしました。おにいちゃんとやったら、おにいちゃんがなげかたをよわきにしてくれました。たのしかったです。

せんせい、あのね、このまえね、サッカーを ろっぴゃくじかんサッカーをして、きんにくつうになっていたかった。

せんせい、あのね、ホールでおかあさんたち、うたったよ。

せんせい、あのね、××のいぬのさんぽにいきました。××のいぬは、はしるのがはやくて、おいつけませんでした。

せんせい、あのね、なんで、せんせいは、がっこうのせんせいになったのですか?

せんせい、あのね、ぼくは、2さいのときから、しゃべりはじめました。そのことが、おとうともそうでした。それがとてもふしぎでした。

せんせい、あのね、まえのあさ、わたしがおきてきて、あさごはんをたべようとしたら、めじろが、にわのみずをのみにきて、△△のことをみて、びっくりしてとんでっちゃったよ。
 
娘の日記とかを見ても、その日本語がすごく「生きている」感じがします。最近ずっとこの日記で書いている、「リアル」と「ヴァーチャル」の議論で言えば、「リアル」な世界から受け取った印象を、そのままダイレクトに日本語にしている感じがする。大人がよくやるみたいに、「ヴァーチャル」な観念的思考で、言葉の中だけでこねくり回す過程を経ていない、極めて直接的な、「リアル」な印象たち。多分、子供の頃にしか表現できない表現なんだろうなぁ、と、観念をこねくり回して生きるのに慣れた40過ぎのオジサンは、なんだかうらやましい気分にすらなるのでした。

…ところで、上の作文の中で、我が娘の作文はどれでしょう?すぐ分かるわな。ははは。