「カデナ」「闇をつかむ男」「天の梯」〜本との出会いって色々です〜

私が図書館に行って本を借り出す時の行動パターンというのは大体決まっていて、(1)まずは、お気に入りの作家の未読作品をチェック。次に、(2)題名をざっと見て話題作と言われた作品をチェック。それから、(3)読んだことのない作家の面白そうな作品をチェック。この本を借りよう、という明確な目的もなく、通勤電車内読書のための文庫本を借りよう、という、私みたいないい加減な本の虫には、割とありがちな行動パターンでは、と想像。

(3)には当たりハズレがあって、読む側もそのリスクを楽しんでいる部分もある。一応、1・2ページ繰ってみて、文体や設定に興味を惹かれたから読むので、最初から拒絶反応、というのは少ないけど、読み終わってみてガッカリ、というのは結構ある。

話は逸れるけど、そういう意味では、人に未知の作家の未読本を勧められる、というのは、ちょっと緊張感を生じるシチュエーションだったりする。Singさんなら絶対この本好きだと思う、と勧めてくれる人が、私をどういう人間だと思っているのか、が透けて見えたり。あるいは、その推薦者が好む本が、全く私の好みと異なった時に、その人に今後どう対応してよいものか、ちょっと悩んでみたり。お見合いに似てるかもしれませんね。あんな子を俺に紹介してくるって、いったいどういうことだよ、とか。読み終わった後に感想を求められて絶句することも。そういえば、昔、いいなーと思っていた女の子が「この本に大感動した」と勧めてきた本が、「くだらない」としか思えなくて、それからなんとなく疎遠になっちゃった、なんてことがあったなー。俺も昔は若かった。いかん、話を戻さねば。ということで、最近読んだ本の感想、三冊まとめて。
 
池澤夏樹カデナ

この本を図書館で選んだプロセスは、間違いなく(1)。本当にはずれのない作家。ベトナム戦争を巡る反戦平和運動については、音楽や映画や文学といった、文化的なムーブメントのことしかあまり知らずにいた。もっと具体的な形(スパイ活動や逃亡兵の援助など)での反戦運動が描かれるこの小説は、反戦小説、というより、一種の「戦争小説」と言えなくもない。戦闘シーンは一切ないし、描かれる活動も、アメリカ軍という圧倒的な軍事力を前に、一般市民が細々と展開する小さな抵抗運動に過ぎない。「英雄ごっこ」という言葉で文中でも表現されるように、アマチュアの戦争ゲーム、と片付けていいのかもしれない。でも、登場人物たちは間違いなく、一人の兵士としてこの戦争を戦っていて、そういう意味では、太平洋戦争後に日本で戦われた小さな「戦争」が描かれている、と言っていい気がする。

それが、戦争という非日常が日常的に生活の中に根をおろしている、沖縄、という地で行われていることが、戦争と日常の境界をさらに曖昧にする。池澤夏樹さんが「静かな大地」以降強めているメッセージ色、リベラルな政治的メッセージも見え隠れするのだけど、個人的には、日常の中の戦争、戦争の中の日常、みたいな感覚がリアルに迫ってきて、そのインパクトが強かった。我々が平和と思って過ごしているこの毎日の日常の中にも、大量の人命を奪う戦争を推進したり抑止したりする、小さな「戦争」が忍び込んでいるのかもしれない。あらゆる活動が世界規模でつながっている現代社会において、世界各地で起こっている流血を伴うリアルな戦闘は、遠く離れた我々の日常とどこかで確実につながっているはず。池澤作品は常に読者に対して、そういう「視座の転換」を迫る。政治的メッセージへの諾否は別として、自分を巡る世界の模様が変化する感覚が心地よい。
 
・トマス・H・クック「闇をつかむ男」

トマス・H・クックという作家は、一時期、妙に気に入って次々読んでいました。これも図書館で選んだプロセスは(1)になるんだろうけど、昔なじみのお店にふらりと立ち寄った、という感じかな。一言でいえば、ネクラな作風。どの作品も、ミステリーとしても人間ドラマとしても高密度でじっくり読ませる良作ばかりなんですが、とにかく暗い。重い。「緋色の記憶」という作品がNHKでドラマ化された時、その脚本を書いた野沢尚さんが自殺した、と聞いて、さすがトマス・H・クック、と妙に納得したことがある。関係ないんだけど。

図書館で見つけた「闇をつかむ男」を読む気になったのは、未読だった、というのもあるし、ちょっと重厚なミステリーを読んでみたい、という気分もありました。狙い通り、重くて暗いクック節を堪能。こんなのばっかり読んでると心病みそうだけど、たまに自分の足元に無限に広がる闇を覗くような、自己崩壊的トリップ感覚を楽しむのもよい。不健全ですかね。危険ドラッグとかに走るよりはよっぽど健全なトリップが楽しめると思うんだが。
 
・高田郁「天の梯」(みをつくし料理帖最終巻)

クック節で、ずどん、と重くなった後で、心からの解放感を味あわせてくれたのが、ついに完結した、みをつくし料理帖「天の梯」。考えてみればこの本は、「これは絶対Singさんが好きだと思う」と、友人のS弁護士から推薦された本なのでした。実に幸福なお見合い。

最近数冊の展開を見ていると、又次さんの一件以降、物語をまとめにかかっている感覚がずっとあって、ストーリの広がりやスリルを殺いでいた気がしていたこのシリーズ。でも、この最終巻では、それが逆に、「高田さん、いったいこの物語を、どう収める気ですかね」という興味でぐいぐい読ませてしまう。「やっぱり、そう収めましたか」「なるほど、そう来ましたか」という、「収まり」が次から次へと立ち現われて、登場人物一人ひとりが背負っていた物語が、丁寧に丁寧にシメられていく。宮部みゆきさんがどこかで、「予定調和が好き」という話をしていたのだけど、見事なまでにきちんと全てが「収まるべきところに収まっていく」快感に、思わずぼおっとなるくらい。

小さな挿話まで、飽くなきサービス精神できちんと収めた後、根幹となる澪と野江の物語が迎える大団円は、予想通り、でも、予想をはるかに上回る、あっと驚く見事な幕切れ。まさに、「そう来ましたか」という堂々の予定調和。巻末につけられた付録の一枚にまで、その後のドラマをたっぷりと盛り込んだ贅を尽くした一品。高田さんはコミック原作者としてデビューされた方だ、というのもあるかもしれませんが、長編漫画の最終回で、これまでの登場人物が総出演しているような、そんな感覚。

作家としての力量、とか、技量、という点で見れば、もっとすぐれた時代小説はいっぱいあるとは思います。でも高田郁さんの作品の魅力は、登場人物たちの健気さ、生きることへの懸命さにあって、そうやって必死に生きている登場人物たちが、苦しみあがきながら、たどり着くべき場所にたどり着く姿を、高田さん自身が深く慈しんでいる愛情の深さが見えるところにある。だからこそ艱難辛苦を乗り越えて彼らがたどり着いた大団円が、読者の心を打つのだと思います。澪ちゃん、野江ちゃん、本当によかった。おめでとう、と、まさに登場人物の一人になったような気持ちで言える、そんな物語を完結させた高田郁さんに、お疲れ様でした、そして、本当にありがとうございました、と心から言いたい。

そして再び、新たな物語を求めて、おじさんはページをめくるのです。次は何を読もうかなー。