アナ雪見てきました〜神田沙也加さんブラボー〜

今週来週と、会社からリフレッシュ休暇なるものをいただき、遠出する気力もなく家でのんびりしているのですが、あんまりのんびりしていると在宅仕事に励んでいる女房から邪険にされてしまう。ということで、休暇中に、映画、芝居、美術館に少なくとも一回ずつは行こう、と予定を立てる。後は家族での年中行事、結婚記念日の都ホテルお泊り。

で、選んだ映画が「アナと雪の女王」。安易ですみません。マーケティングに乗せられてるなぁ、と思いつつ、3Dで字幕版と日本語吹き替え版を一回ずつ、計二回も見てしまった。だって字幕版見たら日本語版の役者さんの歌も聞きたくなるじゃん。まさに大衆的消費行動。

技術的水準、という意味ではもう驚嘆するしかなくて、それはジブリ映画とも同じ構造だと思うんだよね。トップクラスのクリエーターを一堂に集めることができるブランド力と資金力。それで作り上げられる映像が素晴らしくないわけがない。でも、ジブリ映画と同様に、映像が素晴らしいからと言って、映画として傑作になるか、というとそれは話が別。

とても素敵な映画だと思うのだけど、「美女と野獣」や「アラジン」の完成度と比較したらどう、と言われると、あそこまではいかないな、と思っちゃう。その最大の要因は、「Let It Go」という楽曲の力が圧倒的過ぎて、物語後半のカタルシスがこの場面を越えきれない感じがするんだよね。「美女と野獣」「アラジン」には、同等の力を持った楽曲が何曲も揃っていた感じがあるんだけど、「アナ雪」は、「Let It Go」があまりに突出している。他の楽曲の力がない、ということではなくて、この曲の力が強すぎる、ということ。

字幕版と日本語版を両方見ると、当たり前だけどキャラクターへの感情移入は母国語の方がしっくりきて、そういう点で、アナのキャラクターへの感情移入が字幕版と日本語版で全然変わったのも面白かった。字幕版をみた時には、アナの天衣無縫なキャラクターが逆にKYに見えるところがあって、それが物語全体の推進力を殺いでる感じがしたんだね。アナの姉を思う一途な思いが物語を引っ張って行くのに、そのアナに共感できないとちょっとしんどい。

そういう意味では、日本語版の神田沙也加さんは良かったなぁ。松たか子さんの歌唱力ばっかりがクローズアップされるけど、神田沙也加さんのアナは、歌も芝居も見事だった。特にアナが時々見せる陰のある芝居がしっかり表現されていて、字幕版で気付かなかったアナの多面性に神田さんの演技で気付かされた気がします。そういう意味では、日本語版の方が、アナの行動力と姉への思いが物語を引っ張って行くドライブ力が強かった気がする。時々お母さんそっくりの伸びやかな声がするんだけど、親からもらった声帯がいくら良くても、それでいい歌が歌えるかっていうのは全然別の話で、日々の鍛錬と舞台経験の賜物なんでしょうね。

松たか子さんの歌唱も演技ももちろん素晴らしかったのだけど、アテレコという別のスキルに反応する器用さでは、神田さんの方が勝っている気もした。お二人ともいわゆる二世俳優さんですけど(松さんは十世俳優か)、しっかり結果を出しているその姿勢には本当に頭が下がります。あんな親持ってるのはプレッシャーだと思うのに、本当にすごいなぁ。


最近facebookに昔描いたイラスト上げたら結構誉められたので、調子に乗ってアナを模写。でもなんか、日本のアニメ風になってしまった。何が違うのだろう。