合唱団「麗鳴」第21回定期演奏会〜舞台裏のいろいろ〜

この日記でも何度か触れてきた合唱団「麗鳴」の定期演奏会が昨日開催。なんとか無事に終演にこぎつけました。定員522名の府中の森ウィーンホールに、400人を超えるお客様がご来場くださいました。ありがとうございました。色々ハプニングもありましたが、今日はその舞台裏のエピソードをいくつかご紹介。なので、演奏会を聴きに来てくださった方にしか分からない記述が続くかもしれませんが、そこはご容赦ください。

今回、三沢治美先生の編曲されたポップスメドレー「SORA」のステージ演出を担当したのですが、それも含めて、演奏会全体の構成・企画を、団員さんと相談しながら私が取りまとめていきました。ステージの進行を舞台図面におこして、団員を表す人形の絵とか、ピアノの絵とかを配置して、各ステージの平面図に仕立てていく。オペラやオペレッタの舞台演出だと、さすがにそれを全てパソコンでやるのは大変なので、舞台図面に手書きで書きなぐっていくのですが、今回はさほど移動が激しいわけでもないので、全部パワーポイントの図面で作成していきました。麗鳴は、舞台演出にそれほど親しんでいない団員さんが多いので、そういうパワーポイントの資料をお見せしたら、みんなずいぶん驚いた、というか呆れたみたいで、「こんなに一生懸命きれいな資料作ってくれたんだから、言うこと聞くしかないか」という気持ちになってくれたみたいです。でもまぁ、そんなに大した作業をやったわけじゃなくて、ピアノの絵にしても人形の絵にしても、人の動きを平面図におこす作業にしても、これまでガレリア座や、シン・ムジカさんの演奏会を手伝っていく中で蓄積したノウハウを使っただけなんですね。やっぱり積み重ねって大事だと思った。

ステージの全体構成をみんなで作っていく中では、段取り、というのがすごく重視されます。着替えの時間、とか、ピアノの移動、とか、舞台裏で起こることをスムーズに流して、お客様が飽きないように進めていくこと。そういう点で、麗鳴、という団体は、自分で「やりますよ」と手を挙げてくる人が結構多い団だと思っています。私はどちらかというと、自分で全部やりたがってしまうタイプなので、それで自爆することがよくある。以前ステマネをやった大久保混声合唱団の演奏会で、ステマネとナレーションを兼ねて大失敗したことがあった。ナレーションに熱中しているうちに、舞台上で起こっていることに目がいかなくなってしまって、ナレーションは終わっているのにステージ上の準備ができていなくておたおた。アンケートにも「段取り悪い」と書かれてしまって、本当にがっくりしたことがありました。今回は、団員のご親族の方でナレーションの勉強をされている方が場内アナウンスを担当してくれたし、全体の進行表も団員さんが作ってくれた。私が素案を作れば、その穴をみんなで埋めてくれる。ステマネのO田さんの細部に目配りされた進行のおかげで、本番の流れはかなりスムーズだったと思います。

演奏会の1か月くらい前に、三沢治美先生が演奏会を聞きに来てくださる、という話になり、中館先生から、「せっかくなので、三沢先生へのサプライズプレゼントで、先生アレンジの『大空と大地の中で』をアンコール曲に加えたい」というお話がでる。その時、これを最後のアンコールに持ってくるのはやだなー、と、ちょっとこだわってしまいました。個人的には、「深き淵より」という曲に結構思い入れがあって、この曲でしっかり演奏会をしめた後、松下耕先生の名曲「信じる」でしっかり締めくくる、というのが品格があっていいじゃん、という思いがあった。で、変則的な構成なんですが、「SORA」ステージの終わりにこの曲を挿入することにしました。でも実は、本番当日まですごく迷っていて、演奏会のアンコールなんだから、そんなに品格にこだわらず、最後にお客さまにも親しみのあるポップスのメッセージソングを入れる、というのも悪くないかなー、とずっと思っていた。今でも、どちらがよかったのかよく分かりません。なんとなく、中島みゆきのコンサートみたいにしたかったんですよね。途中でどんなちゃらけたMCがあっても、最後はしっかりシリアスに締めくくる、という。

「SORA」を演出付ステージにしたい、というのは中館先生がずっとおっしゃっていたことで、「絶対ジュリーを出しましょうよ。パラシュート出しましょうよ。派手に行きましょうよ」と言われ、パラシュートって、どこから出してどこにしまうんだよ、と悩む。合唱演出経験では先輩の女房と、どうするかねー、という相談をする。私が、「布を使うのはどうかな」というと、女房が、「照明で遊べるなら布は色んな表現ができるけど、明暗しか出せない舞台あかりでは表現が限られるよ」と言う。バリバリ踊れる人たちがいる団体でもないから、やっぱり小道具に頼るのがいいんだよねー。で、ふと、「傘はどうかね」と。

傘を使った演出は、以前、ガレリア座オッフェンバックの「天国と地獄」をやった時に経験があって、ビニール傘をくるくる回しながら登場してくるのがとてもきれいに見えた記憶がありました。あれは使えないかな。傘だったら、空とつながるアイテムだし。青いビニール傘なら空っぽい。色んな曲ごとに、傘の役割が変わるってのはどうだ。傘がマイクになったり、ステッキになったり、トロンボーンになったりする。色の違う傘を使えば、パラシュートにもなるぞ。相合傘で人と人との絆、みたいなものも表現できるし。演出っていうのはそういうワンアイデアから広がっていくもので、これならいけるかな、と思ってまとめてみました。実際の立ち稽古をやっていく中で、団員さんから、「ここはこういうステップの方が」とか、いろんな面白いアイデアが出てくる。それもいろいろ取り込んでいく。

団員さんたちをペアにして、相合傘で心地よい関係にあった人たちが、別れ、そしてまた出会う、というドラマを作ってみて、そのドラマをペアの間で分かりやすく見せたい、と思う。なかなかそのペアの間の距離感がはっきりしない。相合傘になっているんだか、傘さした人とさしてない人が関係なしにぼーっと立ってるのか、よく分からない。なので、二人の関係性を数字で説明することにしました。二人で一つの傘を持って、二人寄り添っている位置関係を、「0」。普通の相合傘は「0.5」。少し離れた位置が「1」。決定的に離れている状態が「2」。練習中、「はい、1!」「そこはまだ0.5じゃない!」「そこで2になる!」とかわめいていたら、みんなに「鬼演出家」と言われてしまった。怖くてごめん。

「東京キッド」の演出を付けた時、中館先生から、「この後奏がすごくおしゃれなのに、団員がただ立ってるだけ、というのはいやだなー」というコメントが出る。「誰かひとり出てきて踊るとか、何かオシャレなことができませんかね?」と。

私は音楽に対する感覚が鈍いので、歌詞に合わせた動き、というのはイメージできるんだけど、音楽に合わせた振付、ということまで思い至らない。なるほどな、と思って、その場でふと思いつく。「どなたか、小さなお子さんに、美空ひばりの恰好をさせて、この曲をずっと指揮してもらうってのはどうですか?」そうすると私が慣れないダンスステップを考えたりしないで済むし。演奏会で子供を出したら間違いなく受けるし。

中館先生が、「いいですね、だったらうちの娘にやらせます」と引き受けてくださり、あんな演出になりました。でも、美空ひばり役の先生のお嬢さんには、ただ指揮するだけじゃなく、曲に合わせた振付が施されていて、本番前のリハーサルで私自身びっくりさせられる。中館先生と奥様が振付を考えてくださったんですね。本番では、お嬢さんが振っていた指揮棒が途中で壊れてしまう、というハプニングがあったのに、しっかり指揮と振付を最後まで続けて、落ちた指揮棒をきちんと拾って先生に返してくれたお嬢さん。血は争えないというか、舞台センスのよさに感嘆。

長くなってきちゃったんですが、最後に一つだけ、最大のハプニングの話を。当日の朝のリハーサルで、さぁ、傘を持って並んでみよう、と言ったら、数人の団員さんが青くなって私のところにやってくる。「傘が足りません」。

青い傘はネット経由で私が発注して、かなり多めに発注したはずだったんですが、見込みより参加団員が増えたのと、何本か壊れてしまったせいで、足りなくなってしまった。私の発注ミス。練習の時は参加者全員がそろわなかったので気が付かなかったんですね。青いビニール傘、というのは簡単にそのへんの店頭で売っているものじゃなく、ネット経由くらいでしか売ってない。今から手に入れようにも間に合わない。

リハーサルをとにかく進めていきながら、どうしようか、と必死に考える。今から手に入るのはコンビニとかで売っている白いビニール傘か、透明な傘しかないはず。なら、白い傘で穴埋めするしかない。一人か二人白い傘を持っていたら、「青い傘が足りなかった」というのがばれる。じゃあ思い切って、まとめて5人くらい、白い傘を持たせて、空に浮かぶ白い雲、という見立てにしたらどうだ。

リハーサルの間になんとか、苦肉の策でそれを思いついて、団員さんに伝えて安心してもらう。昼休み、炎天下で、元団長のKさんがドンキホーテに走ってくれたり、私自身が近所のコンビニやらサミットを覗いて、白い傘を買い込んで急場をしのぎました。お客様にはちゃんと、「青い空に白い雲」という風に見えたみたいで、なんとか胸をなでおろす。

きれいなパワーポイントで美しく段取りを作り上げていったとしても、本番舞台では何が起こるか全くわかりません。ここには書ききれなかった小さなハプニングもいっぱいあって、突然発生するそういうハプニングにどう対処するか、が常に問われる。対処しきれないでボロが出ることだっていっぱいあるんですが、今回の舞台では、なんとかごまかしきれたかな、という感じ。そうやって現場を経験して、また色んなハプニングを事前に想定しながら、次の段取りを作っていく。仕事にも通じるかもしれないけど、こうやって積み重ねていくことに意味があるんだと、本当に思います。

直前のリハーサルの時、中館先生が、「あんまり今の自分を信じない方がいいよ」とおっしゃる。「今の自分の表現にこだわってしまったら、先にいけない。上にいけない。何か違う音が出ている、変えて、と言われたら、とにかく違うことをやらないと変わらない。そうやってやっていくと、いつまでたっても終わりはない。今の自分が最高、なんて思ったらダメ。絶対終わりはないんだから」

結局そういうことなんだと思う。麗鳴のみなさん、鬼演出家の無茶な要求やら色んな段取りミスでご迷惑をおかけしました。これに懲りず、また次の楽しいこと、一緒に作っていければ嬉しいです。