日本映画は一時期、SF映画が撮れない時代がありました。いわゆる円谷特撮の全盛期、SF映画は一つの娯楽映画のジャンルとしてある程度確立していたと思います。それが、興行成績重視の方針から、子供向けの怪獣映画しか撮れなくなる。大人の鑑賞に足りるSF映画は、せいぜい「日本沈没」くらい。その後、「宇宙からのメッセージ」「さよならジュピター」「首都消失」あたりが、超大作なんだけどなんだか笑えちゃうカルト映画に仕上がり、「復活の日」はかなりいい出来だったのに、興行成績的に今ひとつ、という結果になったところで、日本で真っ直ぐなSF超大作映画、というのは撮れないし、興行成績も期待できない、という認識が定着。ガメラシリーズやゴジラシリーズなどの怪獣映画以外で、スケールが大きく、またメッセージ性の強いSF映画は撮れない時代が続いてきました。それが一方で、アニメーションであれば、SF映画が撮れる、ということで、数々のジャパニメーションの隆盛を産んだ、という側面も確実にあった。
「CASSHERN」は、制作費6億円とのこと。「復活の日」の制作費が、当時で22億円。「日本沈没」の制作費が当時で5億円。その上で、映画の出来栄えを見てみる。賛否両論があるようですけれど、私は、「この制作費で、これだけのメッセージ性と、これだけの作家性を持った映像を、一つのエンターテイメント作品として仕上げたSF映画が生まれた」ことに、素直に感動したいし、素直に賞賛したい。日本で、やっと、世界に通用するSF映画が産まれた。これはすごいことです。
映像のテイストについて、この映画では、使用されているCG合成の技術の高さが注目されがちですが、むしろ、日本のゲーム産業が長年にわたって培ってきた、アートとしての映像テイストに注目するべき。宮崎駿のアニメ作品に出てくるような、銅色の奇怪な飛行機械たち。いわゆる「スチームパンク」(19世紀の蒸気機関時代の機械をスケールアップさせたような世界で、数々の不思議な機械たちなどのガジェットが登場する物語のこと)に通じるメカニックテイスト。「ブレードランナー」よりも、どちらかというと、テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」との共通点の多い、終末的世界のビジュアル。それらが、過去の日本映画の各種の特撮シーンや、CG合成シーンで見られたような、目を覆わんばかりの「ツクリモノ」「つぎはぎ」感から脱却して、実写の役者たちと共に一つの世界の中で無理なく共存している。こういう日本映画は、今までなかった。
もちろん、映画として傑作ですか、と聞かれたら、そこまでは言いません。巷で指摘されているように、ストーリ的には破綻している部分も沢山ある。ブラックキングが機械の兵力を手に入れるまでのシークエンスには相当無理がある。そもそも、新造人間は不死身なのか、それとも死ぬ存在なのか、よく分からん。脚本も稚拙な部分が沢山あり、ラストあたりでキャシャーンの戦い自体の目的が見えなくなってくるように、説明不足なところも多い。何より、編集が通好みに出来ているもんだから、普通の観客が見ていて「分かりやすい映画」に仕上がっていない。それでも、「人間が人間を愛するがゆえに産まれる戦争という悲劇」「その悲劇を回避するために、過去を捨て、未来に向かって生きていかねばならない業」というメッセージは明確かつ強烈です。確かに分かりやすいエンターテイメント作品とはいえないですが、ストーリは実はシンプル。初監督にしてこれだけの作品を作り上げた紀里谷和明監督には、素直に、すごい、と言うべきだし、次回作でも、これだけエッジの効いた作品を期待したいと思います。
好きな映画か、と言われると、ちょっと困っちゃうけどね。テーマが重いので、見ていて不愉快になったり、すごく辛くなるシーンが多い。でも、これをキャシャーンでやった、というところがいいじゃない。キャシャーン、というのは、ガンダムを産んだ富野由悠季さんが、「海のトリトン」からずっと引きずってきた、「アンチヒーロー」の一つの代表のような存在。決して正しいヒーローじゃないんです。映画の中でも、子供たちから石で追われる存在として描かれている。もともとが辛いヒーローだから、こういう重いテーマを背負わせることができるヒーローなんだよね。樋口真嗣さんがコンテを描いたという戦闘シーンのキレは素晴らしいし、新造人間同士の肉弾戦も実にかっこいい。
・・・この映画が背負ってしまった最大の弱点、というか、この映画がこれだけ「けなされる」最大の要因というのは、映画の出来や内容には全然関係ないところにある気がするんです。それは、監督が紀里谷和明さんである、ということ。その要素って大きいんじゃないかなぁ。
紀里谷さんには、非常にトンガったイメージがあります。宇多田ヒカルの夫であり、幼少時代から日本人離れした生活をし、ビジュアリストとして米国で成功している。そういう、今までの日本になかった芸術家であり、誰もがうらやむ成功者である人物が撮った映画。それに対して、日本人特有の「ひがみ」と「やっかみ」の視線が集中する。どんな作品を作り上げたとしても、彼の作品に対してマイナスの評価を与えようとする視点からは逃れられない。
「ひがみ」「やっかみ」というのは、日本人の最大の特性にして最悪の欠点だと日ごろから思っているのですが、この「CASSHERN」に対する色んな評価を見ていると、この「ひがみ」「やっかみ」の要素を相当差し引いて読まないと、作品の本質を見失うような気がします。なんども言いますが、傑作だとは思いませんよ。見ていて愉快な作品でもない。愛すべき作品だとは思いません。でも、金銭的にも恵まれ、仕事なんかしなくても食っていけるお金持ちが、財力にあかせて趣味の映画を撮りました、というレベルの映画では決してない。一時期の角川春樹が、同じような立場で監督した何本かの駄作に比べれば、完成度は全然違う。紀里谷監督の次回作、もっとファンタジックで明るく楽しい作品を期待してます。