山田武彦のパラダイス銀河を旅する~山田武彦と東京室内歌劇場Vol.6~

7/10、緊急事態宣言前夜の東京飯田橋トッパンホールで開催された「山田武彦と東京室内歌劇場Vol.6」を鑑賞。夜の予定があったので、ラストの応援歌メドレーの前で途中退場してしまったのだけど、山田武彦先生の該博な音楽知識と、それによって新たな魅力を吹き込まれたポピュラーナンバーの数々を楽しむ。

いきなりちょっと違う美術の話をしますけど、中野京子さんの「怖い絵」がヒットする前から、象徴主義の絵画が結構好きだったので、絵画を見る時に、そこに描き込まれた様々な「象徴」を読み解く楽しみ、というのをある程度知ってたんですよね。西洋絵画に限らず、日本の浮世絵なんかも、ディテールの中に別のメッセージが隠れていることがあって、それを紐解くことで、絵画の意味が多層化するのが面白かったりする。

それって、その時代の文化や宗教、歴史といったいわゆる「一般教養」の厚みがどれくらいあるか、ということにかかってくるので、中野京子さんもそうだけど、例えば少し前にこの日記でも紹介した山田五郎さんの「大人の教養講座」の動画にしても、同じ美術品を見てもこの人には全然違うものが見えているんだなぁって、いつも感心してしまう。よく美術品とかは、「知識とかなくても、まずは感じることが大事」と言われるし、そうやって感性を磨くことも確かに大事なんだけど、「感性」という曖昧な価値観で、画家が本当に描きたかったことや、美術品をきっかけとして広がっていく豊穣な知的冒険を楽しめないことを許容してしまうのは、ちょっと違うと思うんだよね。

そういう楽しみ方って、音楽の中にもきっとあると思っていて、その中でも、自分が好きなオペレッタの世界、特にオッフェンバックの作品に触れる時にその感覚を強く感じるんです。オッフェンバックという人は恐ろしく該博な音楽的素養と天才的な作曲能力に悪魔的な諧謔精神が一体化した巨人で、その作品はどれもこれも徹底的に馬鹿馬鹿しいのだけど、どこかに様々な過去の音楽遺産や同時代の有名音楽家に対するオマージュやパロディがちりばめられている。それが彼の作品を無駄に名曲にしていたり、妙に意味深長な作品になっていたりする所以なのだろうけど、自分自身がそんなに音楽の素養がないものだから、今ひとつ理解が深まらない。これはどう聞いてもモーツァルトのパロディじゃないかな、とか、ヴェルディをコケにしてるんじゃないかな、とか思う瞬間があるんだけど、しっかりそれを分析、指摘することができないもどかしさ。

今回の「山田武彦と東京室内歌劇場Vol.6」は、まさに現代日本オッフェンバックともいえる音楽の素養と諧謔精神溢れた山田武彦先生が、自分の種々雑多な音楽の引き出しの中に、日本歌曲やカンツォーネ、ドイツリートや歌謡曲をぶち込んで、ガチャガチャに引っかき回して取り出して並べてみた、という感じ。「われは海の子」がいつのまにかドン・カルロの熱い友情の二重唱になったり、ヴェトナム民謡の旋律が気がつけば「椰子の実」につながったり、寺山修司シューベルトが絡み合ったり、ショパンのピアノコンチェルトが小林亜星の「北の宿から」に変容していったり、もう自由自在。

これだけ自由自在にやられると、なんだか悔しくなってくるんだよね。元ねたが分からないアレンジが一杯あって、「ああこの元ねた知ってたら絶対もっと楽しいよなぁ」って思ってしまう。自分の音楽の素養や教養を試されているような気にもなるんだけど、それが決して不愉快な感じにならないのは、どのアレンジも遊び心とオリジナルの曲やオマージュされた元ねたへのリスペクトに溢れていて、決して押しつけがましさやこれみよがしな感じがしないから。よくあるつまらないレクチャーコンサートなんかよりもよっぽど情報量が多い上に、エンターテイメントとして心底楽しめる。まさにオッフェンバックオペレッタみたい。なんだか山田武彦先生の頭の中の宇宙、というか、「山田武彦のパラダイス銀河」みたいなキラキラした世界を旅しているような気分になる。

そしてその「パラダイス銀河」を彩る演者の方々も本当に素敵で、特に凄いなぁ、って思ったのは、山田先生が投げるボールを軽々と受け止めてさらに彩りをつけて返球してくる感じの、バイオリンの奥村愛さんとバンドネオン北村聡さん。バイオリンってこんな音色まで出せるんだって改めて思ったし。バンドネオンってピアノみたいにリズム楽器にも旋律楽器にもなれるんだなぁって改めて感嘆。

安定の歌唱と表現力で「山田武彦のパラダイス銀河」を軽々と歌い、踊った歌い手さん達も、皆さん本当に素敵で、ちょっと特定の方について語れない感じなんだけど、あえてあげるなら、吉田信昭先生の「クスリ・ルンバ」(プログラムに載ってないところが草)が最高におかしかった。あと明珍宏和さんは「ワイン・レッドの心」も「また逢う日まで」も普通に無茶苦茶お上手でした。普通にお上手なだけだとなんか物足りなくなってしまうのがこのシリーズの恐ろしいところで、「また逢う日まで」でもみあげ貼って出てこられたのは、何かしないとヤバい、という現場の雰囲気を感じておかしかった。またお世話になったうちの女房も、「コーヒー・ルンバ」で安定の吉田先生との色モノデュエット、エキゾチックにアレンジされた日本歌曲の二重唱をしっかりこなしていました。シュトラウスの春の声のように仕上げられたワルツ「みかんの花咲く丘」は、なんかラクメの花の二重唱みたいな浮遊感を感じたなぁ。

山田武彦ギャラクシーを存分に楽しめた今回のコンサート、女房が大変お世話になりました。そしてアナザー山田武彦ギャラクシーとしてすっかり定着した「ああ夢の街 浅草」も、新作「蝶々夫人」を加えて秋に再演される、とのこと、今から本当に楽しみです。

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天才山田武彦先生を女性陣で囲む

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クスリ・ルンバを引きずったコーヒー・ルンバの衣装(このあとルンバっぽくなる)