ガールズバンドを巡って、東西宗教観にまで話を広げてやるぜ

大体、私がこの日記で大層なタイトルをつける時には、色々と衒学的な考察とも思い込みともつかない浅薄な議論を並べた挙句に「やっぱりBABYMETAL最高」というヲタ話で終わる、というケースがほとんどのような気もしますが、今回もそうなるかもしれません。本当にそうなるかどうか、最後まで見守る気力がある方は是非お付き合いください。まぁ普通の人はここで見限りますわな。でも、ヲタ話というよりは、どっちかというと、衒学的ではあるけれどちょっと一般的な文化論を並べてみたい、と思います。

きっかけは、というと、タイトルで一部の方は「あれか」と思われるかもしれませんが、先日放送された「マツコの知らない世界」ですよ。ベビメタが取り上げられる、というヲタ界隈の情報に惹かれて見たんだけど、様々な視点から最近の「ガールズバンド」の隆盛について分析していて、すごく面白かった。その中で、NEMOPHILAのSAKIさん(美人で超絶テクのギタリストという、天が二物を与えた方)が、

「海外のメディアに『どうして日本は女性蔑視社会と言われるのにこんなにガールズバンドが盛んなのか?』と聞かれて、逆に、『じゃああなたの国では男女平等と言われているのになぜガールズバンドが生まれてこないの?』と聞くと、誰も答えられないんですよね」

とおっしゃっていたんですよ。その時、ふっと、

「そりゃイエス様とアマテラス様の差じゃない?」

と思ったんです。

なんじゃそりゃ、と思われるかもしれないですけど、男女平等、と言われる欧米社会における基本的価値観であるキリスト教は、神の真理や真実を伝えたイエスキリストと、彼を母性によって支えた聖母マリア、という二本の価値観の柱を持っているわけですよね。この二本の柱、二人の男女の性格付けっていうのが、文化表現においても大きな影響を与えているんじゃないかな、と思ったんです。特にロックという音楽ジャンルにおいて、社会に対する抗議や政治的主張、といった「預言者」的な発信をするカリスマ性というのは、男性専属の属性であると認識されることが多かったのじゃないか。

そう思えば、欧米で人気の女性シンガーが軒並み「女性」をアピールしているのもなんとなく理解できないかな、と。聖母マリアに与えられた属性は「母性」という女性の特性であり、また、聖書におけるもう1人のマリア、マグダラのマリアは元娼婦です。結局キリスト教の倫理観、価値観において、イエスに象徴される男性的なものは、よく通る声で真理や進むべき道を示し、マリアに象徴される女性的なものは、母性や豊穣という価値観を担ってるんじゃないかと。マドンナがおっぱい丸出しの衣装で踊り狂ったりするルーツはマグダラのマリアの献身にある、なんていったら笑われるかもしれんけど、彼女達の発するカリスマ性がセックスアピールから逃れることができないでいる呪縛を説明する一つの鍵にはなるかもしれない。

そう思うと、私が割と関わっているオペラの世界、特にイタリアオペラが、テノール歌手の美声をその軸に据えている、というのも、ひょっとしたら同じルーツから来ている現象なのかもしれない。音楽という娯楽が古くから宗教と不可分であったことを考えると、神父様や牧師様の説教を聞く宗教的恍惚感と、テノール歌手のハイCやデスメタルボイスの男性ボーカルに痺れる感覚というのがどこかでつながっている、というのも、あながち考えすぎじゃないのかも。

それに対して日本はどうなの、といえば、国津神の頂点に君臨するのはアマテラスオオミカミ様という女神なのですよ。武家社会において女性の地位が低かった、という話はあるけれど、あれは武士階級に限った話で、庶民の間では「山の神」として家を支える女性の神性は維持されていたし、何より神託を人に伝えるのは多くが「巫女」と言われる女性だった。つまり女性が天界や異界との間をつなぐカリスマとして機能していたわけだし、様々な新興宗教が女性の教祖を持っているように、女性は天の声を地に伝える役割を担っている、という価値観が古代から綿々と続いていたのじゃないかと。

そして日本の宗教観の凄い所は、女性のセックスと神性を矛盾なく結びつけてしまう所なんだよね。マグダラのマリアのように過去の自分の行状を悔いたりしない。全く逆で、セックスアピールによって世界を救うのが、世界初のストリップショウで天岩戸に隠れたアマテラスをおびき出すアメノウズメノミコト様という女神様。アメノウズメノミコト様は歌舞音曲の神様でもあるわけだけど、ここでは、女性という「あざとさ」という武器が、世界の危機を救う最終手段として賞賛されている。まさしく、「女性のカワイイは世界を救う」のが日本の価値観なんだよな。

つまりキリスト教という男性的な価値観をベースにした欧米においてガールズバンドが生まれてこず、日本神話という女性の神性をおおらかに肯定する価値観を持つ日本においてガールズバンドが違和感なく生まれてくるのは必然なんじゃないかな、と思ったんです。じゃあなんで日本は女性蔑視社会といわれるのさ、というと、儒教倫理観をベースとした戦闘集団である男性優位の武士社会の価値観が、明治維新以降、女性信仰を残していた庶民も守るべき倫理観として押しつけられた結果だと思うんだよね。文化や芸術、宗教といった内面においては女性的であり、政治、経済という外面においては男性的である、という日本独特のダブルスタンダードは平安の昔からあったけど、明治以降、それがシステム的に女性の「政治・経済」という表舞台への進出を阻む形になったのじゃないかと。そういいながら明治政府の根本価値である皇室の祖は女神アマテラス様である、という点でちょっとねじれているんだけど。

一方で、欧米においても女性の神性が称えられた時代がないわけじゃなくて、前キリスト時代のギリシアローマ神話体系にせよ、ドルイド教にせよ、異教といわれた原始宗教は多くの女神を抱えていたし、乳房の沢山ある女神像などは原始宗教における多産の女神の伝統を継いでいると言われる。そういう女性の神性をテーマの一つにした有名なオペラが「ノルマ」だったりするのだけど、このオペラと、極めてキリスト教的男尊女卑の思想に貫かれたモーツァルトの「魔笛」を、欧米における男女の価値観の相違、という視点で見比べたら結構面白かったりするんだよね。

さて、話をそろそろクローズしていこう。ガールズバンドに注目し始めた欧米が日本発信のこの「女性の神性・カリスマ性」という価値観に目覚めたとしたら、それはキリスト教的価値観からギリシアローマ神話の時代の価値観に回帰しようとしたルネッサンスの革命に近いパラダイムシフトなのかもしれないし、セックスを売りにしないとスターダムにのし上がれないという欧米の女性シンガーを縛る呪縛を解消するきっかけになるかもしれない。その先頭を切った存在として、BABYMETALが「ガールズバンドへの注目を高めたきっかけ」として紹介されたのは、BABYMETALの持つ神性、カリスマ性が、欧米の伝統的な価値観そのものを覆すだけのパワーを持っていたことに他ならないと思う。で、ここで終わってしまうと冒頭に書いた通りのヲタオチで終わってしまうんですが、今回はちょっとここで終わりたくないんですよね。

というのも、日本発信のガールズバンドへの注目、というのを、「かっこいいロックサウンドをバックに巫女のようなカリスマ性を持った女性ボーカリストが歌う」バンド形態への注目、と言い換えることができるのであれば、BABYMETALよりもはるか昔にその先鞭をつけた偉大なバンド、サディスティック・ミカ・バンドに触れないわけにはいかないんじゃないかと思っちゃったんだよなぁ。「黒船」が愛聴盤だったから余計にそう思っちゃったんだけど、ミカ・バンドの革新的なサウンドに影響された欧米バンドはいっぱいあって、ブロンディなんか、ミカ・バンドの影響無茶苦茶受けてると思う。「マツコの知らない世界」がミカさんを取り上げなかったのがちょっと残念なんだよなぁ。