山出愛子さんを聞いてモーツァルトを思う

さぁ大げさなタイトルをつけたぞ。タイトル負けしそうな予感バリバリだぞ。例によって今回はさくら学院の卒業生の山出愛子さんのことを書くので、さくら学院に興味のない方はここでご退場くださいね。

先日開催された山出愛子さんのオンラインライブで、新曲の「はなまる」が公開されたのだけど、この曲を聴いて、自分がなんで山出さんの曲を聞くと時々ほろっと泣きそうになるのかなぁ、というのがちょっとだけ分かった気がしたんですね。ちなみにYouTubeで公開された「はなまる」のリリックビデオ、「びじゅちゅーん」の井上涼さんのテイストがちょっとあって大変可愛いんだけど、歌われている内容はかなりハードなんだな。

youtu.be

 

「やりたいようにやってみりゃいいさ」
本当無責任なオトナ
どうせ途中でなんだかんだいっぱい
文句を言うくせに

はなまるちょうだい ド派手にちょうだい
大変よくできましたってさ
お望みどおり
お利口さんに生きて来れたでしょ?

 

なんていう歌詞が疾走感のあるロックビートで結構ビンビン心に響くんだけど、さくらの頃からずっと山出さんを見ている父兄の端くれとしては、すごく山出さんっぽい歌詞だなぁって思っちゃうんです。やりたいこと、表現したいことが溢れるくらいあって、でも大人の思惑や事情についても子供の頃からしっかり見えてしまっている山出さんが、大人向けの優等生やりながら心の中に押し込んでいる色んな本音が、いい感じに嫌味なく表現されている感じ。

山出さんという人は、さくらの頃から、常に100点を取るんだ、自分が引っ張っていくんだ、という意識がすごく高い人で、それは多分、9歳で「アメリちゃん」として芸能界に入った時から、そつなくこの世界で生きてきた彼女のベースになっている意識なんだね。彼女の凄さは、そのために決して努力を怠らないことで、さくらの頃は歌でもダンスでも周囲を引っ張り続けていた。同級生にはダンススキルの高い岡崎百々子さんや岡田愛さんもいたのだけど、あの小さな身体で決して二人に負けない存在感を放っていました。

そういう、ある意味とても「強い」そして「優等生」の山出さんが、時々、ふっと、弱い心やダークな側面を見せる瞬間があって、そこが彼女の魅力を多層化している気がするんです。「はなまる」はそういう彼女のダークサイドがうまく表現されている感じがしてそこが凄く好き。そういう、優等生で真っ直ぐな表現者が時々見せる心の闇、というか、暗い部分が作品やその人の魅力を深める、という所で、連想したのがモーツァルトだったのだね。飛躍ひでえな。

モーツァルトのかなしさは疾走する」という小林秀雄の有名な言葉があるけれど、モーツァルトの魅力って、底抜けに明るい楽曲の中にふっと立ち現れるダークな部分なんですよね。長調の曲より短調の曲に名曲が多いのもそうだし、明るい曲や喜劇のオペラにも、なんだか斜に構えた皮肉屋の視線とか、悪戯っぽい悪童の素顔がちらちら見える瞬間があって、それがモーツァルトの魅力を多層化する要因になっている。

そう思うと、モーツァルトも山出さん同様、子供の頃から「天才」と言われて大人の思惑だの大人の事情に振り回されながら、自分の表現したいものを必死に表現しようと奮闘してたんだよなって。お父さんのレオポルドに「はなまる」もらうために必死に練習したりしてさ。自分のやりたいことやろうと思ったら、ザルツブルグ大司教やらお父さんにも反対されて、何でいこの野郎、みたいに逆ギレしたりして。

そういう、子供時代から「天才」と言われた人に共通する孤独感、みたいなものを山出さんの作品にすごく強く感じたのが、「君に出会えてよかった」という愛犬まるちゃんのことを歌った曲。これは山出さんご自身が作詞しているんだけど、まるちゃんとの楽しい日々を歌いながら、いつか来るまるちゃんとの別れの日を予感する歌詞が続くんだね。

 

これから先の私たち いつの日か離れてしまうけど

いっしょにいよう、これからも最後までずっと

 

愛らしいペットと戯れながら、その子との別れの日を予感してしまう、という所に、山出さんの、「今のこの瞬間は決して永遠に続かない」という透徹した大人の視点を感じて、この曲を初めて聞いた時は結構ぎょっとしたんです。そういう「いつか来る別れの予感」というのは、続く「3月なんて大嫌いだ」にも表現されているんだけど、鹿児島という地方出身で、若者はいつか東京などの大都会に出ていく、いつか別れが来るっていう予感の中で日々を過ごしている山出さんの表現の源泉にある思いなのかもしれないなって。さくら学院、という、「卒業」という別れの時が必ず来る、というシステムを持ったアイドルグループにいたのも大きいとは思うんですけど。

ひょっとしたらモーツァルトも、子供の頃みたいに、いつも誰かに自分をほめてほしくて、自分を愛してほしくて、でも思うような愛や賞賛を得られなくて、どこかでいつか来る別れを予感しながら作品に向かっていったのかもしれないよね。「はなまる」の作詞の遠坂めぐさんは、山出さんの前作の「ピアス」でも、山出さんの日常を優しく切り取った歌詞を作詞された方で、山出さんのピアノの先生でもある。身近にいてくれる理解者が自分の思いを代弁してくれている分、そういう大人たちに愛されている分、モーツァルトよりも山出さんは恵まれているのもしれないんだけど。