クレド交響楽団第3回演奏会~ベートーベンはアマチュアに限るって本当かも~

年末のライブ参戦(この単語を使うなと)感想の3つ目は、娘が参加しているクレド交響楽団の第3回演奏会。なんというか、とにかく、若いっていいよなぁ、とため息の出る演奏会でした。

f:id:singspieler:20191228230250j:plain

このオーケストラの演奏会は、前回の演奏会の感想をこの日記に載せています。

クレド交響楽団 第2回演奏会~伝えるって本能なんだな~ - singspieler’s diary

慶應義塾高等学校のオーケストラ部のOBたちが、カリスマ性のあった学生指揮者を中心に作り上げたこのオーケストラ、前回の演奏会で、ジェラール・プーレさんという熟達のヴァイオリニストとの共演を経験して、「進化した」と自称する若い彼らが、今回取り上げたのはベートーベン7番。のだめカンタービレで有名になった疾走感あふれる交響曲

第一回の演奏会を聞いていないので、「進化」の過程が見えているわけではないのですけど、一つ感じたのは、指揮者の豊平さんが、オケに対してしっかり自分のやりたいことを投げつけていて、それに対してオケが全力で答えていこうとする、指揮者との間の密なコミュニケーションが成立している感じ。アマチュアオケの演奏を聞いていると、時々感じることですが、指揮者がオケの実力に合わせてしまって、「できる範囲でやらせよう」と保守的になってしまう感覚。それはそれで指揮者にとって大事なスキルで、オケの実力を超えた高すぎるハードルを設定して、オケのモチベーションを下げてしまったり、演奏として破綻してしまったりすることも多いと思います。オケの実力を見極めて、もう少し上のレベルに演奏水準を設定し、だんだんクオリティを上げていく、というのが指揮者の腕前で、失敗したくない、とハードルを下げてしまうと、途端に演奏がつまらなくなる。

そういう意味で、前回の演奏会でのプーレさんは、本番に何をやらかすか分からない即興性にオケ全体を巻き込んでいく求心力のあるソリストで、そのコミュニケーションの妙味を知った豊平さんが、オケに対してどんどん挑みかかっていく、その挑戦をオケが必死に受け止める、みたいな丁々発止感が、「進化」の一つの要素だったのかもしれない。でも、プーレさんは、何をやらかすか分からないようで、しっかりオケの実力も見極めていて、絶対に越えられないハードルは設定しないんだよね。「君たち、ちょっと背伸びすればこれくらいできるでしょうが。さぼってんじゃないよ」みたいな感じで、ちょっと無理すれば打ち返せるボールをぽん、と投げていく、その感覚が絶妙で痺れたんだけど、今回の演奏会の豊平さんは相当無理なボールをバンバン投げつけていた感じがして、演奏にはかなり破綻があった気がします。

でもベートーベンというのは、特に7番や9番というのは、そういう破綻をある意味許してくれる、というか、破綻してもいいからぶっ飛ばしていく疾走感や高揚感の方が重要な演目だったりする。知り合いが、「ベートーベンの第九はアマチュアオケとアマチュア合唱団が死ぬ気でやっている演奏が一番面白くて、プロが仕事でやってる演奏なんか全然つまらん」と言ってたことがありましたけど、そういう側面ってある気がするんです。暴走機関車が屋根とか車輪とかぶっ飛ばしながら、それでも驀進していく姿にカタルシス感じてしまうような。

もちろん演奏全体が破綻してしまうと元も子もないのだけど、そこは日本随一のアマチュアオケを出身母体とするクレドのメンバー、暴走機関車をなんとかレールの上にとどめるだけの技術を持っている。中でも女房が感心していたのが、コンマスの服部さんで、時に限界を超える指揮者からの無茶ぶりに対して、弦楽器全体を知的にコントロールしながらうまく折り合いをつけていく様子が素晴らしかったそうです。

機関車を爆走させるだけのエネルギーは、やっぱり若さの賜物なんだよなぁ、とも思うし、俺達にはもっとできる、もっといける、と高い高いハードルを掲げる姿勢も若さだなぁと思う。でもその若さがそれぞれの演者の独りよがりになっているのではなく、また、お互いに距離を置いてできる範囲で収めようとする大人な対応や、最近の若者にありがちな事なかれ主義に堕ちているわけでもなく、とても高いレベルでバランスしながら全力で疾走していく姿が、とても好印象でした。終演後の拍手が鳴りやまなかったのは、今のこのオケにしか出来ないパッション溢れる演奏と、最後まで走り切ったその姿に対する感動の拍手だったと思います。なんだか高校駅伝か何かを見たような後味の残る、爽やかな演奏会でした。